2009年1月18日日曜日

テスト

11月ごろから2年生の国語の授業を子どもたちと一緒に受けさせてもらっていた。

子どもたちも自分をとても慕ってくれるので、生活の中で一番楽しい時間だ。

とてもいい勉強にもなる。会話はもちろん大事だが、教科書で習う言葉は日常会話では使用頻度の低いものもあり、語彙力を高める上でも非常に有意義だ。

昨日、一昨日は期末試験で全校の児童が一斉にテストを受けていた。
1.2年生の国語は1時間半。
3~6年生は2時間。

長い。

その前にも学期末は単元ごとの小テストをやっていたようで、ここしばらくは復習ばかりだった。


そんなある日、国語の授業に行くと、プリントが配られた。その日は小テストをする日だったらしい。てっきり授業をすると思っていたので部屋を出ようとしたら

「榎本先生もテストを受けるの?」と子どもが。

「そうよ。榎本先生もやります。」と担任の先生。

ええっ!聞いていませんけど・・・って思ったが、面白そうなので一緒に受けてみた。


結果。 

88.5点。  微妙・・・・


中国のテストは0.5点があり、日本人にはなんとも不思議な感じがする。
88.5がいいのか悪いのか分からなかったので子どもに聞いてみると、

かなり良いらしい。
何でもクラストップの子の点数が82点だったらしく、ということは・・・


NO,1じゃ~ん!!!(小学2年生の)


先生にもすごく良くできているわと褒められた。(小学2年生のテスト)


これが3年生なら完全にお手上げだったろうけど、突然のテストにてまあまあの成績を収め(小学2年生の)、にやりとした私でした。


やっぱりテストは面白い。勉強になるしね。

フフホト珍道中

ビザを取るため、フフホトに向かうことになったワタクシ。


まずはバスに3時間ほどのって150kmほど離れた乌海(ウーハイ)へ。 が、電車がない。 仕方ないのでネットカフェに入り、9時間過ごす。

電車に乗り、寝台で休む。 日本のそれよりもだいぶ狭いように感じるが、ベッドがあるだけずっとマシ。

夜中、隣のベットのおばちゃんが突然寝言を言って叫びだす。雄叫びに近かった。
ばっちり目が覚めてしまった。ちくしょう・・・

翌朝、フフホトに着くと、凍える。凍てつく。 「凍てつく」なんて言葉、ドラクエ以外で耳にしたことはないが、まさに凍てつくって感じ。どのくらい寒いかって言うと、川の上にスケート屋さんがお店を開けるくらい。

あとで分かったが、あの朝の気温は-20度だった。
とりあえず、役所が開くのを待って科技庁に出かける。


そして、担当者の「早ければ午後にはビザがもらえる。遅ければ、明日かなあ」という言葉を信じ、翌日午後の帰りの切符を買う。


その後余りある時間を費やすために街をぶらぶら。24時間マックを発見!!

どうやら最近できたらしい。ウキウキして店に入ると、店員が一言。
まだ開いてないよ

そして、鍵をかけられる。




・・・・どういうこと ですか?




買い物。

フフホトは安い!!そして北京と同じくらい品物が豊富。素晴らしい。海外ブランドはさすがに若干高いけど、国産品は激安です。

ここぞとばかりに一日中買い物をして、かなり使ってしまった。 でも、ずっと欲しかったものばかりだから悔いはありません。



宿。

その日泊まった宿はすごく安かった(一部屋50元)けど、その分ひどかった。寒いし、汚いし。まさに安かろう悪かろう。

外は冷凍庫、部屋の中は冷蔵庫。結局、布団と毛布を二枚ずつ使って寒さに震えながら浅い眠りで夜を過ごす羽目に。



3日目。

電話が来ないのでこちらからかけると、外事弁の局長が会議で時間が空いてないから明日(つまり4日目)の午後以降に電話くれと言われたらしい。




電車のチケット・・・・・キャンセル決定(涙)



長蛇の列に並び、ようやく自分の番。が、発車間近だったためキャンセルできず。100元も無駄にした。
このお金があれば、もっといいホテルに泊まれたのに・・・・



食事。

その夜、通りがかりに見つけたおしゃれな感じのBarに行く。入ってみると一階はBarだが、二階がバイキングのブッフェになっていて、そこに案内される。

一人だと告げると、「え、一人で来たの?あんた」みたいな顔をされる。知らん顔をしていると店の奥の方の、団体様の隣にある余ったテーブルをおもむろに用意されてここへ座れという。

超目立つ場所。しかも一人。さすがに無理ですよ、それは。


「いや、もういいや」と言って店を去ろうとすると後ろからさっきの店員たちの大笑いが聞こえてくる。

また客を馬鹿にしてる。でもそこはぐっとこらえて、じっと睨みつける。店員と目が合うと気まずそうにしていた。勝った。



ステーキハウス発見。入る。一人でも気にしない。なかなかおしゃれ。メニューに値段が書いてないので、若干あせった。尋ねるとコースで68元だという。まあまあだろう。


注文してしばらくすると来た。前菜とスープとパンが同時に。 どうやら定食をコース料理と聞き間違えたらしい。 しかもどう見ても、サーモンがまだ凍ってる。 溶けるまで待って、サーモンのカルパッチョを食べる。 鼻につんとくるこの懐かしい刺激。



・・・・・あ、あのぅ、・・・これ、ワサビだよね。


なぜカルパッチョがワサビ味 刺身?

肉が来た。食べた。普通にうまいので、なぜか、少しがっかりしてしまった。 ネタにならんじゃないか・・・

一通り食べ終わり、佐野洋子さんの「がんばりません」を読みながら30分ほど待つが、デザートが来ない。


店員に聞くともう全部出したという。そんなバカな。

で、確認するとやっぱり向こうが忘れたらしく、すぐに持ってきた。ヨーグルトプリン。 スプーンを入れるとなぜかシャリッという音。


? まさか  ・・・・また凍ってる?  ていうかこれ、ただのヨーグルトシャーベット。プリンじゃないよ・・・


ちなみに、そこで飲んだビール、300mlで18元でした。普段のは600mlで2.5元なので14倍のお値段。名前はプラチナ青島ビール。


4日目、連絡が来ないので先にホテルを延泊する。その15分後、電話がきて手続きが終わったといわれる。・・・・・また一泊分の100元無駄にした。


ラーメン屋に入る。ジャージャー麺を注文する。同じテーブルのおばちゃんが半分以上食べてから店員に文句をつけ出す。「これ注文したのと違うよね。差額の1元返してよ!」どうやら店員は俺が注文したのをそのおばちゃんに出してしまったらしい。


すると店員、そのおばちゃんが注文したのを代わりに俺に食べろと言いたいらしく、やっぱりジャージャー麺を食べるのかと聞いてくる。


「当たり前だろ。ていうか、おばちゃん、食べる前に聞きなよ、あんた!」


その五分後、店員がまた聞いてくる。



ホントにジャージャー麺食べるの?」



もう、意味が分かりません。




その後、街をうろうろしていると、とある店を発見。麻辣汤(マーラータン)という激辛鍋の店。




これ・・・・・どう見ても、あれですよね(汗)。カーネルさん。


5日目。
朝のバスに乗り、今度は9時間半かけて帰宅。疲れた。



そして、替えの靴下とシャツしか持っていかなかったので、パンツは結局5日間穿き続けでした。



裏返すべきだった??

2009年1月15日木曜日

再入国ビザへの道(完結編)

CPから、もういっそチベットへ行けと言われ、もう諦めようかと思っていた次の日、なんと科技局の人がフフホトまで書類持って行ってくれることに。

なんていい人たちなんだ、中国人。ありがとう。 そして、ほんと申し訳ない。

さらにその後、JICAのスタッフが、またいろんなとこにお願いしたり協力してもらったりしたおかげで、事態は一気に解決に向かう。

 フフホトにある科技庁の偉い人に、外事弁に行って手続きをしてもらえることになったのです。そのため、科技局の人に行ってもらうより自分が行った方が時間的にも作業的にも安心だし、かつ申し訳ない気持ちにならずに済むので、一人で書類を持って行くことに。

さて、前期の最後の日、職員会議が終わると同時に、バスで3時間かけ駅のある街へ。
そこからなんと9時間待ちで電車に乗り、8時間半かけてたどり着いたフフホトでは、

いろいろあって3日待たされた結果、


ようやく再入国ビザを取得することができました。


うぉ~~~~~い!! ビザ、とったど~~~~~ !!!

まあその「いろいろ」の部分は面白いことやら何やらあったんだけど、それはまた今度ということで。

結局、かかった日数5日間。うち、移動がまる2日。

あ~、長い道のりだった・・・・・・


分かったこと。

1 日本の仕事、物事は「システム」で作られているが、中国は「人」で作られている。つまり、すべて相手次第ということ。だから関係が何より大事。システムがないという問題はさておき、人脈の大切さが身にしみた。

2 内モンゴルの隊員は任国外旅行に行ってはいけないということ。 そして、たかがシール一枚のために、今回お世話になった(迷惑かけた)方々、それからこんなに長い文章を読んでくれた人、本当にありがとうございました。そしてごめんなさい。もう二度と任国外旅行に行くなんて言いません。

お土産、買ってきます。

そして、コネを作ろうと思います。

2009年1月10日土曜日

再入国ビザ危機一髪

再入国ビザを取得するため、フフホトへ行こうとしたワタクシは、とりあえずそこの外事弁の担当者に電話して明日行きますと伝えた。

そしたら、前回となんか話が違う。(汗)

また、アラシャン盟の外事弁からの承認が必要だとか他の書類が必要だとか言い出した。
彼女の言ってることが難しくって話がよく聞き取れないので、楊先生(カウンターパートのような人)に代わってもらう。
何やら、またややこしいことになっているらしい。

本人の証明書が必要だと。 向こうでは犯罪行為をしません、とか帰国の日時を守りますとか、なんかあっても全部自分の責任ですとか、そんなことを約束する書類を書かされる。

その後、とりあえず(例の)アラシャン盟の外事弁は役に立たないので、代わりに教育局で承認をもらう。

そしたら次は科学技術局の承認書類が要ると。
これはまあ学校の隣にあるからいいけど、 問題はさらにフフホトの科学技術庁の承認書類がいるってこと。

しかも、外国人である自分が一人で行ってもだめだってことで、だれか中国人が行かないといけないらしい。

さて、困った。 楊先生もさすがに、「どうする?無理だ。あきらめて代わりにチベットにでも行けよ、ダライラマに会ってこい。」と言い出す始末。そりゃあそうだ。

なんせここからフフホトまでは750kmほどある。バスで3時間、さらに電車で8時間の道のり。 たかが自分の旅行のために。

例えるなら、神戸の学校の先生に「すみませんが、ちょいと3日ほどかけて東京に行ってきてもらえませんか?鈍行で。」っていうようなもんだ。

いくらずうずうしくても、それは頼めません。

そして この間ずっと、JICAのスタッフにもいろいろと動いてもらい、調べたり連絡取ってもらったり、なんとかならないかと頼み込んでもらったりもしていた。

が、さすがにJICAも「学校の先生に、この忙しい時期に個人の旅行のためにそこまで要求できないし、今後の活動にも影響するから・・・・ちょっと。」と言葉を濁す。

いい加減、心苦しさと煩わしさにうんざりし、妻とも、「こんなにいろんな人に迷惑かけるくらいなら、もう、行くのやめようか」と話していた。


すると次の日・・・・



疲れたので、結末は次回。


え?誰だ。 話が長いとか言うな

2009年1月8日木曜日

おれがやらなきゃだれがやる?

昔、教師になる前に勉強しながら配管工をやってました。

みなとみらいの、ある施設を作っているときに現場のトイレでこんな落書きをみつけた。

「おれがやらなきゃ だれがやる!!」

そして、「だれが」の「が」に大きく×がつけてあり、「か」と直されている。

「おれがやらなきゃ だれかやる!!」


うまい。


あまりのうまさに感心して、出かけていたものが引っ込んでしまった。

なんともよくできた皮肉。

日本語教師なら授業で問題として使ってみたくなる。
もう9年も前のことなのに、いまでも時々これを思い出す。

世の中、まさにこのとおり。圧倒的に後者が多い。

たとえば小学校。全員がそうであってほしいと願うものの、現実には前者はせいぜい1~2割。一般社会ならもっと少ないかもしれない。
だからこそ教師がいるんだろうけど。教科書の内容だけ教えるなら塾で十分だ。


誰かが拾ってくれるだろう。片付けてくれるだろう、ごみを。
誰かが注意してくれれうだろう、あの子に。
誰かが変えてくれるだろう。

何を?クラスを?学校を?社会の仕組みを?自分を?

いや、きっと変わらない。それもきっと分かってる。

変えるのは「自分」。「だれか」に期待せず、「おれが」やる。

とはいえ、一人で変えるってやっぱり大変。結果的にはできないことも多い。


自分もしょっちゅう他人や環境のせいにしたり、環境に甘えたりするので反省する。それを繰り返している、進歩のない人。


一方、青年海外協力隊に参加している人の多くは「だれがやる」的考えの人だろう。それってものすごいことだと思う。そんな集団のすみっこに加わっていることを誇りにも思う。

でも、そんなに意気込まなくてもいいのかもしれない。心に秘めてさえいれば、とも思う。


まもなく協力隊の18年度2次隊が帰国し、20年度4次隊が日本で訓練を始める。
満足いく活動をできた人はどれだけいただろうか。満足いく活動をできる人はどれだけいるだろうか。
一人では変えられないような「何か」を変える力。 すぐには変わらない「何か」を変える活動。

それでも、幾人もの人が何代にも渡って糸をつむぎ合わせるようにして作っている活動。
それが青年海外協力隊。

すごいと思う。

自分に出来ることを精一杯やり、「おれがやれなきゃ だれかやるさ」 と、前向きに「誰か」に託していく。

すごいと思う。


2009年1月7日水曜日

再入国ビザ物語

1月末にフィリピンに行く予定です。
中国に戻る時に再入国ビザが必要なのでその手続きをすることに。

はじめに警察へ行くと(町には外国人がほとんどいないから)案の定どうしたらいいかよくわからないらしく、アラシャン政府の外事办公室に行くようにと言われる。

日本でいう市庁舎みたいなところの、ある部署です。
ちなみに、外事办公室(がいじばんごんし)というのは、外国人の接待などの対応をする部門、つまり対外関係の処理を行う場所です。

その場所へ友人について来てもらっていくと、そこの担当者の女が友人に言った。 モンゴル語なのでよく分からなかったがこう言ったらしい。

「なんで外国人なんて連れてくるのよ!!私は関係ないわ!」

警察で言われたから行っただけなのに、叱られた。

その後担当者は中国語で言う。 「私は中国人民の外事事務員(←こいつ主任)だ。外国人のための事務員じゃない。だからできない。分かる?」


「ああなるほど、って・・・分かるかぁあああ!!」と内心思ったけどそれは言わず、できる限り大人の対応をする。

「じゃあなんで外事っていうのさ。これがあなたの仕事でしょ。」

その人もめげません。

「私は関係ない」

繰り返しますが、外事办公室(がいじばんごんし)というのは、外国人の接待などの対応をする部門、つまり対外関係の処理を行う場所です。


友人「じゃあ、フフホト(内モンゴル自治区の首都)の外事事務所に電話して聞いてみてください。」

女「いや。私は電話しない。」

繰り返しますが、外事办公室というのは・・・・・・


友人、帰り道超激怒。そりゃそうだ。

翌日、JICAに連絡。調整員も苦笑。

今度はJICA経由でフフホトの外事办公室(上級の組織)に連絡を取り、手続きの方法を調べてもらう。

学校で書類を作って、例の事務所から承認の書類をもらって持ってくるようにとのこと。

アラシャンの事務員に分からないことがあったら、そいつにフフホトに電話させてとの根回しもした。 でもいやな予感。


CPが書類を持って行く。


帰ってくる。


CP怒ってる。



CP「ダメだ。そんなのやらないって言われた。」

俺「フフホトに電話すればいいって話は?」

CP「『私は電話しない』って。」

俺「やっぱりね。あの人は何も仕事しないんだよ。ほんと腹立つわ。」

CP「あれはだめだな。俺もあいつ嫌い。もう会いたくない。」

俺「ごもっとも。」

その後、フフホトに電話し事情を説明すると、まずパスポートのコピーをファックスで送って、書類持って直接来いとのこと。

さて、735KM離れたフフホトへ一人で行くのでいったいどうなる事やら。 たどりつけるか、そして仕事してくれるか。フィリピンへは行けるのでしょうか。

不安です。

物語の結末に乞うご期待。

再入国ビザ物語

2009年1月2日金曜日

浮かれポンチじゃいられない

12月31日。

予定通り忘年会をばっくれ・・・あ、失礼、遠慮させていただき、浮かれ気分で日本人仲間の待つ銀川(ぎんせん)、Tさん宅へ。

留学生2人と江西省と銀川の協力隊員、そして自分の6人にて、日本人の大みそかを過ごす。
夜食にはTさんが作ってくれた年越し蕎麦を食す。



そばが日本のものじゃなかったのが残念だけど、でも気分は年越し。おいしくいただきました。そして日本のお菓子やおつまみ、ケーキ(中国の)などを持ち寄り、盛大に年越しパーティー。

その晩はなぜかものすごく眠くって、我慢できず1時には解散。先輩隊員宅に移動して宿泊。


1月1日

元日の昼前再びTさん宅へ行く。
持ってきたお餅とゆずを使って皆様に榎本家風のお雑煮をふるまう。

味の方は、まあまあ75点くらいでしょうか。三つ葉がほしかったけど、ないので我慢。

中国で日本風正月を過ごせただけでも素晴らしいことです。
あ、ちなみに中国の新年は爆竹や花火をちょっと鳴らすくらいで特に何もお祝いをしません。むしろ春節に向けて大掃除をします。

と、ここでえらいことが。なんと泊めていただいている隊員があと5日で帰国するため、大学の日本語課の学生たちにカレーを作ってあげるよと約束してしまったらしい。

ちなみに、彼は何一つ料理ができません。二年間で一度も料理をしなかった男。
そして、お客さんの人数は35人

まじか!?

料理を作れない人はその人数の重みを全く分かっていません。ガスコンロや鍋の数を考えたら時間が相当かかることは確実。
でも、まさかカレーだけ出すってわけにもいかないので、いろいろ考えた結果、
カレー、肉じゃが、おしるこ で行くことに。これなら材料の種類も少なくて済むし。

そんなわけで午後は買出し。
元日午後4時からカレー作り開始。言いだしっぺ本人を除く4人で作業開始。
7時半、カレー完了。

夕飯を食べに行き、10時帰宅、だしがなかったので、手順を無視してとりあえず肉じゃがの材料だけ煮て、12時就寝。


1月2日

翌朝6時半、一晩水につけといた小豆を煮ておしるこ作り。
8時半、おしるこ完成、いったん冷まして味をしみこます。

部屋の掃除と部屋のセッティング。

午前10時、Tさんら女性陣がダシなどをもって到着。
肉じゃがづくり再開。

11時半すべて終了。

時間通り。間に合った。

日本人チームの協力により、無事準備されたこの会でしたが、人のよい彼のためにみんな頑張りました。これも彼の人徳です。

さて、肝心の味の評価はというと、

カレーはまあまあだったのか、ある程度食べてくれていました。

肉じゃが、それなり・・・

おしるこ、大盛況にして即完食。

中国人の好みは日本人のそれとは違うのでこの辺は仕方ない。
なにせ彼らは感情表現がものすご~いストレートで裏表がありません。
だから自分の口に合わないと思ったらたとえどんなに相手が手間暇かけて用意してくれていようとほとんど箸をつけない。超正直。だから残り物の量がそのまま好みの目安になる。

まあ仕方ないね。

その後、ピザ屋へ行き、思う存分リラックス。

そんなこんなのすさまじい正月でしたが、そうとう充実した正月でありました。


みんなも、人を招待する時は計画的にね。ああ疲れたよう・・・