2009年3月31日火曜日

モンゴル族と日本人の結婚式


先日、アラシャンに住むモンゴル族の友人と日本人女性の結婚式があり、参加してきました。

お互い砂漠緑化活動をしていて仲よくなったのですが、お互い言葉は違い、生活習慣も育ってきた環境も違う。

しかもここ内モンゴルのアラシャンという辺鄙な場所に移り住む、勇気に感服しました。

結婚式に参加するのは2度目ですが、前回は漢族同士だったのでかなりスムーズに進行していた感じでした。

ただ今回は言葉が違うので、日本語と中国語とモンゴル語という3言語を使いながら式が進みました。
モンゴル族の人も皆基本的に中国語は話せるものの新郎の両親など、中国語教育を受けずに育った人たちはほとんど話せない。また、漢族の人はモンゴル語が分からない。
そして、日本から駆けつけた新婦の親族は日本語しか分からないので、3言語が必要というわけ。


この町にはなぜか日本語を話せるモンゴル族が何人もいるので、もちろん通訳をできるのですが。

式ではモンゴル衣装を着た新郎と和服を着た新婦が並んで立っていて、とても不思議な感じがしました。








そして、宴会と言えばやっぱり歌手
今回は馬頭琴奏者の伴奏つきで、歌手が司会も担当しました。












しかし、モンゴル族の人は基本的に自分のペースで物事を進めたがるので、新郎新婦が来


賓とやり取りしていても勝手に進行しようとします。あいさつの言葉なんかもご両人からはなく(最後にはあったかもしれないけど)、司会が自分の言葉に酔っていて、えらく長かった。

で、やっぱり白酒(バイジュウ)。
お椀に二杯。






無理です。一杯だけ頑張って飲み干したけど。



式には、ちょうど植林ツアーに参加していた日本人の団体も参加してもらって、貴重な体験をしてもらいました。
中国では、新郎新婦からの酒を飲んだ後は自由に帰っていいので、お酒の飲めない、そして日本語しか分からない彼らは早めに引き揚げて行きました。

自分も頃合いを見て退散。

料理は羊を3頭ほど潰して丸焼きにし、皆さんに振舞っていました。

きっと苦労は絶えないと思うけれど、




これからの二人の生活が幸せであるように心から願わずにはいられない素敵な式でした。

2009年3月20日金曜日

ついにこの日が来たか

どうも、おばんです。

最近は立札や掲示板を立てるための穴掘りやその他力仕事を担当しているコンビニエンス隊員のわたくしですが何か?

しかし、

ついに

ついに


出会えましたよ。!!

美術の先生に!!!

産休に入っていた噂の人が、帰ってきた~~~~~

校長に美術の先生はどこにいるのって聞くと

「そこだ」と言って話を終わりにされそうだったので、紹介してって頼んだら

ちゃんと紹介してくれました。

約10秒も!


その後、二人でちょいと話をしたら、9ヶ月間だけいた前任ともいろいろ交流していたらしく、お互いに勉強しましょうと言ってくれた。

そして、自分の希望として、とりあえずいろいろ授業を見させてもらって、最初はほかの先生とかにも手伝ってもらいながら、 だんだん自分で授業できるようにしていきたいという話をした。


その後、校長がめずらしく(むしろ初めて?)自分に活動のことを聞いてきてくれたので、先生と話したことを伝えたら


「そうだな、それがいいと思う」って、約20秒も話聞いてくれて、5秒くらい返事してくれた。


いやあ、快挙です。


校長が真面目に話聞いてくれたのはじめてかも・・・


その 二日後、ついに授業を見せてもらえました。

内容的にはどうってことないんだけど、そんなのは関係なくてとにかくどんな授業をして、どうやって指示をするのか、子どもたちの様子は、使っている道具は・・・などなど


まずは、自分が知りたいことを知っていくことが第一歩。


もう一人の美術の先生も一緒に授業を見にきて、その先生は授業見せるのは嫌がるけど「自分の代わりにあなたに授業やってほしい」って言ってたし。


その後、力仕事に回されてしまったので、ここ数日は音沙汰なしだけど・・・・


しかも、後期に入ってから消滅したと思っていた日本語の授業も 来週から毎週水曜に課外活動として再開されるらしい。

まだ、学校側からは何の連絡も受けてないけど、子どもたちが一週間フライングして「授業はないんですか」って聞いてきたから間違いないでしょう。

別に日本語やりたいわけじゃないけど、何もないより活動になるから一応歓迎。


なんか、来てますよ、ビッグウェーブが!!!


乗っとけ乗っとけてな感じで、赴任してから8ヶ月と2日。



やっと、自分の活動のスタート地点に立ちました。


本来なら赴任して最初の週にすることなんだけど・・・・


村落開発普及隊員かと思ってしまうくらいに活動を始めるのに時間がかかり、およそ要請内容とは違うことばかりしてきたわたくしですが、

「日本でも仕事あるなら日本に帰ればいいじゃない」とか言われましたが、

「私たちは自分たちの力でやれるのに何で来たの?」とか言われましたが、

ストレスで頭部にハ〇ができましたが、


もうじき小学校美術教師になれるかもしれません。

2009年3月19日木曜日

卒業おめでとう

今日3月19日は横浜市の小学校の卒業式が行われたはずです。


この一年、子どもたちと離れ、遠くから見守っていようという気持ちでいましたが、

卒業となると、うれしいような、さびしいような気持が湧いてくる。

やっぱり教え子が巣立っていくというのは感慨深いものがあります。


今日までの6年間、学級担任をはじめ、学校の先生方、保護者の皆様、地域の方々、友達、塾や習い事の先生など

本当に多くの人たちに支えられて、今の自分があるのだということを分かってほしい。

あなたたちは、権利も義務もある一人の立派な人間です。


12歳にもなると「自分」というものがだんだんはっきりしてきて、

人にあれこれ言われたりされたりするのがわずらわしくなってきます。


一方で、どんなに大人ぶってもきみたちは所詮まだまだ子どもです。

「自分」があるようでいて、実は周りの人や環境に左右されやすい、「あやふやな自分」です。


大人を軽んじて生意気なことを言ってみたり、反抗してみたりなんていうのも

大人になる過程で、誰もが経験することですが、

ただ一つだけ、守って欲しいことがあります。



尊敬と感謝の気持ちを忘れないこと。



だれでも皆、自分にない何かを持っているものです。

また、あなたもまた、他の人にはない何かを持っています。


必ず。


世の中、自分の思い通りにいくことなんか数えるほどしかない。

自分が好きか嫌いか、それだけで自分の成長の芽を摘み取らないでほしい。

相手を見下すのは、馬鹿にするのは簡単だけど、

でも、あなたの目の前にいるその人は、今までともに過ごしてきたあの人はきっと何か、


自分に、かけがえのない何かを教えてくれる人だということを

どうか忘れないでほしい。

そのために、相手への尊敬と感謝の気持ちが何より大事なのだと思う。

それさえ忘れなければ、自分の行動の何が正しくて何が間違っているかもきっと分かるはず。


自分の未来をどんな風に描いていくのか、それはすべて自分次第。

まだまだ真っ白な大きいキャンバスに、思い切り素敵な自分らしい未来を描いていってくれることを心から願っています。


卒業おめでとう、すみれっ子のみんな。

これからのみんなの活躍を楽しみにして、ずっと応援しています。

2009年3月16日月曜日

日本人であるということ

毎週月曜、全校朝会を行う。

日本と違って「校長先生の話」というのはない。

今日見ていて感じたことについて書こうと思う。

朝会の最後に司会の先生(今日はシャオツォンがやった)が子どもたちへシュプレヒコール(エイエイオーみたいな掛声)をするのだが、 その時に言った言葉の一つがたしかこうだった。


「做了不起的中国人!!」

日本語に訳すと「すごい中国人をつくろう(直訳)」つまり「立派な中国人になろう」 といった感じかな。違っていたらごめんなさい

中国らしいなあと思ったけれど、別に否定してるわけじゃなく、日本を考えずにはいられなかった。


日本人は子どもに「立派な人になるんだよ」とは教えるが、決して「立派な日本人になるんだよ」とは言わない。

そんなことをいうと、それこそ国家主義的な危険人物と思われかねない。

何かをするときにも「日本のために」なんていう人は滅多にいない。

そういうせりふを言う人は(選挙のときの)政治家か自衛隊の人、国際的な仕事に従事する人くらいなものだろうし、またはオリンピックのときだけだろう。

その一方で「会社のために」ならば命も家庭もなげうって働く日本人。

実に不思議です・・・


中国・ロシアの共産国に限らず欧米、中東諸国、韓国など、どこの国の人たちを見ていても思うのは国民的アイデンテティがしっかりしているということ。

自分が何者であるかということ、どこの国家の人間であるかということを誇りに思っていると感じる。

国家による情報の管理があるにせよ、多くの中国人は自分の国が本当に素晴らしいと誇っている。

もう、それこそはちきれんばかりに胸を張って生きている。

もちろん技術や便利さ、環境が決して優れていないということは彼ら中国人も承知しているし、政府に対して盲目的に支持しているわけではないが。

でも、 アメリカ人だって、フランス人だってどこの国でもだいたいそうだ。

日本はどうか。 もちろん技術的にも環境的にも恵まれているし「日本が好き」「日本人でよかった」、という人は非常に多いだろう。

自分だって中国へ来て、心からそう思った。

でも、日本に住んでいることじゃなくて、便利さじゃなくて、一人の日本人としての自分を、日本という国家を、胸を張って誇れる人はいったいどれだけいるのだろう。

また、 自分はどうなのだろうか。


「愛国心を育てる」という言葉を教育基本法に入れるかどうかで、もめてしまう日本。

日本人が日本を愛する心をもって何が悪いのか、そして、そんなことを法律に書き込まなければ愛国心を持たせることができないのか。

考えるとなんだか情けないなあと思うが、一方で戦争が与えた「国家主義」に対する拒否反応、そして戦後の日本(とアメリカ)の教育による価値観の刷り込みが国民に与えている影響は計り知れないとも思う。


日本で 愛国心とか国家、国旗というと戦争の影が付きまとう。


でも、それは本当に直結するだろうか。

日本人として、戦争はしない、してはいけないなんてことは当然な感情であるとしても、

自分の国にもっと誇りを持ってもいいんじゃないだろうかと、中国の人たちを見ていると日本にいるとき以上に感じる。


いつの日か 日本人は「すごい日本を作ろう、すごい日本人になろう」 と言うのだろうか。


もちろんこの言葉を教え込むべきだなんて思わないけれど、

でも、自国を認められないと他国を認めることなんてできない、真の国際交流なんてできないだろうと、思うわけです。


そんな今日この頃。

2009年3月14日土曜日

ぎゃふん

前回の日記にも載せたけど、この間から数日間タクシーがストライキに入っていて、街から車が消えました。

この街を走る車の半数以上がタクシーだし、移動手段はほとんどタクシーだけなので、困ります。

さて、このストライキ、なぜだと思いますか?

実は中国では3月1日から道路交通法?の規則改定があり、シートベルトの着用が義務付けられました。
そして、走行スピードが40キロと制限されたらしいのです。

これまでは人が歩いてたってそんなの関係ねえとばかりに、びゅんびゅん飛ばし、町中で80キロくらいは平気で出してたもんです。

車に乗った時にシートベルトを締めようものなら「そんなのしなくていい!」と余計なお世話なことを言われるし。


それが規制された。

これまでそういう規則がなかったのも信じられないけど、もっと信じられないのはアラシャンの人たちです。

その規則が施行された日にさっそくタクシーが200台ほど捕まったらしく、しかもスピードが遅いと商売にならんって感じでプンプン。


それに抗議してストライキしたらしい・・・


聞いたとき、生まれて初めて「ぎゃふん」と言ってしまいそうになりました。


中国人はシートベルト締めるのなんておかしなことって感じてる節があるし、おまけにめちゃくちゃスピードを出すので、いったん事故を起こすと、きっと死亡率が高いんだろうなあ。


いやあ、日本では絶対にありえないストライキでした。


そんな中国が少し好き。

2009年3月12日木曜日

ただいま

ただいま。

みなさま、お久しブリーフ。

ようやく、ようやく帰ってきました、アラシャンへ。

およそ2か月にわたる任地外の滞在で本当に疲れました。

そしていろんなことがあり過ぎました。

伝えたくても伝えきれないことや人には話せないことまで、様々ありましたが、 これまでの人生の中で一番濃密な時間を過ごした気がします。

特に、この2カ月でたくさんの人に出会い、知り合えたこと、仲良くなれたこと、いろんなものを見て、聞いて、感じたことは大きな財産です。

協力隊員だけでも10人くらいと知り合えたし、 たくさんの仲間ができました。

旅行のことも細かく日記に書こうと思っていたけど、出来事があまりにも、多く、濃すぎて書ききれません。

気が向いたら書こうと思います。


とりあえず行ったところは、フフホト5日、瀋陽4日、ハルビン3日、北京2日、香港1日、フィリピン6日、天津1日、北京35日、保定(河北省)3日、と合計1万㎞ほど。

いったい日本を何往復できる事やら。

北京では1か月ほど滞在して、お金が飛ぶようになくなっていきました。


旅では同期の仲間とともに過ごして、仲間の大切さを感じることもできた。
でもやっぱりお金が飛ぶようになくなっていきました。

久しぶりに帰ってきたらタクシーがストライキしていて走っていませんでした。

洗濯機の脱水槽の中に入れっぱなしになっていた洗濯物はカッチカチになっていました。


カッチカチやで


幸い泥棒には入られていませんでした。


仕事に来たら、テレビ局の人(?)が来ていて、普段は放っておかれているのに校長にここぞとばかりに利用され、いきなり「今からちょっと日本語の授業やって生徒と交流して」と言われた。 でもテレビ局の人が5分くらい撮影したら授業も終わった。撮影のための演出です。

なんじゃそりゃ。

それでも、それが中国の姿、普通のこと。
まあ、活動を紹介してもらえるんなら別にいいんですが。


いつのまにか、もうすぐ春ですね。


でも、今日は雪です。



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