2008年12月31日水曜日

中国の年越し

中国の大晦日は日本のそれとはちょっと違う。

一応元旦は祝日ではあるのですが、中国は旧正月を祝う習慣なので、今年の場合は1月26日が春節、つまり旧暦によるお正月ってわけです。

今日の午前の授業が終わる少し前、学校で放送が入りました。
「今日の午後から新年3日までは、授業はありません。そして4日の日曜に振り替えの授業をします。」だって。

一応この情報は二日前からたまたま知っていたけど、すでに決まっていたならなぜ今日言う?

日本だったらえらいことになりますが、ここは何せ中国。

そんなことで驚く人も、早く言えよーなんて人もいませんから大丈夫。

でも大丈夫ではないのが今夜のお食事会(いや、忘年会というべきか)
昨日知りました、そんなのがあるなんて。

すでに銀川にいる日本の友人たちと年越しパーティーと新年のお祝いを しようということになっている。
移動に時間がかかるから、参加してからじゃ間に合わん。


どうする?


もういいよね、いかなくても。


よし、いかない。先約優先。


ちなみに、午後は3年生の教室でなんかゲームとかなんとか学校の掲示板に書いてあったから子供たちがなんかやってくれるのかと思いきや、

机に将棋やトランプなどが置いてあり

単に先生たちが遊んでいるだけでした。



そういうことだったのね。

それと、 この一週間、先生たちはこんなにがんばって何かをするということはないだろうというくらいにそれぞれの出し物の練習に精を出していました。

なんせ今夜の発表にはかれらの面子がかかってますから、必死ですよ。

彼らは遊びに関してはかなり手早く綿密に、事前に準備をし、計画的に行動することができます。


いやあ、人間やるときはやるんだなあ。

意外とやるな、中国人よ。


爪を隠し過ぎ。

2008年12月20日土曜日

浮かれポンチ in北京

一週間ほど北京に行ってきました。中国の青年海外協力隊員が一堂に会して、ボランティア総会というのを開くためで、あわせて健康診断とか交流会とかいろいろ予定が詰まっています。


とはいえ、こちとら久しぶりの都会。相当浮かれています。もう完全に浮かれポンチですから。

北京入りして最初にすることは当然・・・・

日本食!!そして生ビール(スーパードライ)!!!

5か月ぶりに会った仲間たちとみんなで盛り上がりました。


その後、4日間毎晩2時頃まで飲み歩き、睡眠不足が続きましたが、
でもそんなの関係ねえ!(←すでに古い)
という勢いで空いた時間を縫うように遊び、ストレスを発散させてやりました。
髪の毛生えろといわんばかりに。
王府井という街では日本の書籍や漫画がたくさん売っている本屋を発見。ついついワンピース51巻52巻を買ってしまった。
あとは、この街にあるゲテモノ料理屋でちょいとお食事。
ここではトカゲとかヒトデとかセミ(幼虫)とかイモムシとかムカデとかタツノオトシゴとかを売っていたんだけど、さすがに食べる気はせず、サソリを食べた。
川海老の揚げ物みたいでおいしかった。

それと実は15日が誕生日だったんだけど、同期の仲間がサプライズパーティーをしてくれて、すごく感動してしまった。ありがたいもんです、仲間ってのは。
しかし、そんな輝かしい日々は5日目に終わりを告げることに。
金欠。まずい。(汗)
お金がなあい(涙)
それもそのはず、毎日一週間分以上の食費を使って、なおかつ買い物してるんだから。
しかも、もう一つの口座にはたくさん入っているにもかかわらず、持ってきた銀行のカードではそのお金が下ろせず、浮かれポンチはあっという間に節約生活を強いられることに。最悪クレジットカードでキャッシングすればいいんだけど。
17日には久しぶりにOさん親子や北京の友人に会うことになり、楽しみにしていたのはいいんですが、食事後に調子に乗ってコーヒーを飲みに行ったら11時前にも関わらず終電がなくなりタクシーで帰るはめに。しかも長距離。
ますますまずい。 汗/(・_・‘)\
そんなこんなで残りのお金を計算しつつ、細々と最後の2日間を過ごし、
なんとか帰ってきました。

ここで一句。

「いつまでも あるとおもうな あそぶ金」  浮かれポンチ 反省の句

まるで小〇哲哉さんのような栄枯盛衰を見事に演じた一週間でありました。

今なら分かる、彼の気持ち。なくなるまでは以外と気づかないんだなあ。

というわけで今回の反省を生かして、次回は・・・

もっとお金を持っていこうと思います。(笑)

え、まず無駄使いをやめろって?

・・・・ムリ

一週間ほど北京に行ってきました。


遊びではなく、JICAのボランティア総会というのが年2回開かれるためで、

2008年12月11日木曜日

たまご

OISCAアラシャンセンターに久々お邪魔してきました。


噂に聞いてたあれを見に。


その大きさ、つや、そして何よりその色にびっくり。



え、なんのこと?




もちろん、卵です。






エミューの。恐竜じゃないよ。



この色。気持ち悪い・・・・・



エミューはオーストラリアの国鳥に指定されている鳥で、ダチョウのように飛ばない鳥です。

冬場に産卵し、孵化までの期間はおよそ30日。
高温低温ともに強く、-40度でも生きられるらしい。


そんな訳で、過酷な気候のここアラシャンでも繁殖させられるんじゃないかと、購入したようです。



上の写真は卵の孵化器。


温度や湿度を調節できるすぐれもの。






残念ながら購入した40個のうち8個ほどが割れたりひびが入ったりしてしまったようで、もうダメだそうです。

せっかくなので卵を料理して食べたけど、聞いていたとおり、お世辞にもおいしいとは言えない味で、やっぱり肉用のトリだなという感じ。

肉は美味しいらしいので、そのうち食べようと思う。

成功するといいなあ。

2008年12月6日土曜日

中国語訳

どうも、隣人が痰を吐く音が、こちらまで年中響き渡ってくるさわやかな朝です。

不愉快なので、クラシック音楽をガンガンかけてやってます。

さっき、日本だったら大きな声では言えない方法で中国のサイトからミスチルの曲をダウンロードしようとしたんですが、



Mr.children






中国語では 孩子先生


孩子=子ども   先生=さん・氏   




そのままじゃん。 そのままなのに、この不自然さ。

そうとうウケた。ナイス中国訳♪

引っ越し

タイトル見て、「ついにあいつ引っ越しをしたのか」と思ったみなさん今晩は。

どうも、皆様の期待を裏切り、ある意味皆さまの期待に応える私です。

我が家の隣に住んでいたサモハン達が引っ越して早2か月。毎日割と静かでよかった孤独な生活も今日で終わりを告げました。


引っ越しです。


いいえ、私じゃありません。ついに隣に引っ越してきたのです。夫婦で。


サモハンがいたときは5人が暮らしていたので話し声やら振動やら非常にうるさかった。一人用の部屋に5人なんてありえないってその時は思ったものです。

でも、映画でも何でも、続編があるときは敵は前回よりも手ごわくなっているのが世の常。 ですから当然自分の隣のお方も強敵です。

彼ら夫婦はまあいいとして、問題は同居している息子(娘?)です。

小柄で、毛むくじゃらで、やたら騒がしい憎いあいつ。



そいつの俗称は「犬」。


大嫌いな生き物。



人生の中で二度も自分を襲った生き物。



どんなに小さくても吠えられるとビクっとしてしまうトラウマは消し去れない。



この部屋は隣とベニヤ板2枚くらいで仕切られているだけの考えられないような粗末な作りで反対側は階段ですから誰かが上り下りすると靴音がものすごく響きます。



そこに、よりによって 犬 。


なんで 犬 ?


そんなのありですか?


僕は呪われているんですか?


それとも芸人として喜ぶべきことですか?


あのお犬様はどうして無駄吠えするんですか?


ただでさえストレス(?)ハゲができてるのに、この上さらにベニヤ板の向こうにお犬様が住まわれるなんて。

これは犬嫌いの私に与えられた試練ですか? 結構ですから そんな試練




・・・こうしている間も、夜中にも関わらずお犬様は時折ベニヤの壁の向こうで何かひっかいたり吠えたりいるし、住人はなにかを引きずって部屋の外に出しています・・・



ああもう、いっそ穴があいてしまえ! この胃よ。

2008年12月3日水曜日

雪ふった。

朝窓の外を見るとまた真っ白になっていた。

昨夜はそんな気配が全くなくて、昼間も暖かかったのに。
積雪量は5㎝ほど。

通りにはさすがにタクシーが少なく、いつもならすぐに捕まるところが5分以上かかった。

そしてやっと乗ったと思ったら、速度は15キロ。
なぜなら、こちらの車はスタッドレスタイヤなんてないから。

チェーンを巻いている車すら見たことがない。

だから、いつもは100キロくらい出している車もこの日ばかりはのろのろ運転。

万が一衝突事故なんて起こそうものなら一生ものの借金を背負うことになる。


学校では、この寒いのに、相変わらず休み時間の体操を(雪の中)行っている。

子どもたちは雪には興味がないらしく、日本の子のように雪に喜ぶこともなければ雪で遊ぶこともない。いつもどおりの遊びをしている。


日本では雪はシャベルなどでかくものだと思っていたが、こちらではホウキで掃く。

また、それができるほど雪の目が細かく、さらさらだ。


雪だるまも若干日本と違う。ちなみに、雪人といいます。

こんな日も面白くていいのだが、この寒さは只者ではない。



現在夜7時。すでに、外気温は -16度 。



外にいたらもう耳が痛くて、落っこちそうだった。


明日の朝は一体何度になっているのだろうか。ああ、おそろしい。

2008年12月2日火曜日

ガンプラ

近くのおもちゃ屋さんでガンプラを買った。

理由は、さびしかったから。

おっと、ガンプラって言っても、がんもどきの天ぷらではありませんよ。
年配の方。

ガンダムのプラモデルです。

といっても、どこにもガンダム(中国語では「高达」という)の文字はなく、
あるのは機動戦士ならぬ雷達戦士という文字。


早い話がパクリ商品です。

モビルスーツの名前は「扎古幽霊」(日本語に置き換えると「ザクゴースト」になる)
1/144スケールで接着剤不要。
お値段は9元(140円くらい)

さて久しぶりの(偽)ガンプラ作りです。
ニッパーがないので、とりあえず紙やすり、説明書、パーツ、そしてタオルを用意して作業開始。

まずは腕。やすりでバリをとりつつ、非常にはめにくいパーツを壊さないように気をつけながら作っていく。


次は足。
そして頭。

四肢ができたらボディやその他のパーツを作る。何せ部品が少ないもんで、丁寧に作ってもすぐに進んでしまう。

最後にそれぞれを組み合わせたら完成。
所要時間40分。

作りがしょぼいので達成感は全くなかったけど、今後自分の身の回りにいる仲間が一体生まれたので我慢しよう。


え、タオルを何に使うかって?


もちろん、あふれた涙をふくんですよ。ううぅ。

2008年11月29日土曜日

ハゲまさないでください

10月から身の回りでいろんなことが起き、特に最近では激動の日々が続いております。
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。

さて、ここのところ、深刻な日記やまじめな日記が続いておりまして、
皆様につまらない思いをさせていたことと存じます。まだ報告していない重大ニュースなどもあるのですが、それは置いといて



今日はまた深刻ながらも身を削って一時の笑いを提供したいと思い、
発表いたします。










ハゲました。






いや、ハゲができました。

以前、美容師のせいでハゲっぽくみえた と思っていたのが実は美容師のせいではないと気付いたとき、それはそれは悲しいものです 


orz


これはストレスハゲでしょうか。

それとも、遺伝でしょうか。

老化でしょうか。

何でしょうか。

形から察するに、どうも円形脱毛症っぽい感じがします。

やっぱりストレスかなあ。
まあ、死ぬわけじゃないから気にするなって言われればそれまでですが。

帰国したら元に戻ることを願いつつ、またひとつネタができたと思ってしまったこの芸人根性が悲しい。


あ、でもみなさん、励まさないでください。



ハゲが増すといけないので。



毎日のようにいろんなネタが起きる自分は

不幸なんでしょうか、それとも幸せなんでしょうか。



でももうお腹いっぱいです。

2008年11月28日金曜日

4年生の先生に美術の授業を見たいといいに行く。

「この時間に○○先生がやるから行くといいよ。」

行った。


断られた。

「私は専門じゃないから、専門の先生の授業を見て。」

「もう見ました。私は4年生の授業が見たいんです。」

「来週他の先生のをみなさいよ。ねっ。」


終了。



再び4年の先生たちにそのことを告げに行く。

「もうすぐ(美術の)専門の先生が帰ってくるから、そしたら見るといいわ。来週」(←て聞こえた)

メモをとっていると、彼女がなんか言ってる。

「違うよ、来週(下星期)じゃなくて来学期(下学期)」


このとき、怒りメーター60%


「は じゃあ、あと4ヶ月待てってこと?
   もうすでに3か月待ってるんだけど」

まあ、この先生たちに文句言ってもしょうがないんだけど。

「おれは、中国語がまだうまくないからいまだに授業させてもらえないし、何もできない。毎日事務室にいたって何にもならないし中国語のレベルだって上がるわけないじゃん!!おれはどうしてここにいるの?何のためにここにいるの?」

「ほんとにそうね。じゃあ、授業でも見たら?」


それを断られたんだろうが・・・・


「でも、(前任者)はもっと中国語うまかったわよね。」

出た。いつもの前任者との比較。


怒りメーター75%


「彼女はここへ来たときにすでに1年以上中国にいたんだよ」


日本では何してたのとか、何年仕事してたのとか日本での給料はいくらだとかここでは食事どうしてるんだとか聞かれたのちにトドメの会話。

「給料はどうしてるの?」

「生活費を政府からもらってる。」

「じゃあ、いいじゃない。」
(授業なくてもお金もらえるんだから、みたいにとれた)

「日本に帰ったら仕事はあるの?」

「あるよ。学校は変わるけど。」



「あらそうなの。じゃあ日本に帰ればいいじゃない。」


怒りメーター完全に振り切れた。


人生の中でこんなに人間に対して怒りを覚えたことはなかった。


無神経にもほどがある。
怒りに震えるってのはこういうことを言うんだと初めて知った。本当に体が震えます。

もちろん彼女は自分が職場(?)からの要求に基づいて日本から派遣されていることを知らない。だから、悪気は全くない。

なにせ、ボランティアというものに対しての理解がまったく違う。
それこそ仕事がない人間が仕方なくやるものくらいにとらえている。

なぜここへ来たかを伝えてもピンと来ない様子。
「あなたたちは自分がここへ来た理由を知らないでしょ。」

「うん。」

「校長が説明しないからだよ!!」


その後、海より心の広いわたくしは、怒りを抑えてがんばってしばらく交流。

彼女らは自分が聞き取れていないと思って、また前任と比較してあれこれ言ってる。
そして、自分の会話や反応などを聞いて笑う。
嘲笑されるという経験は日本ではほとんどなかったけど、ここではしょっちゅうだ。
きっとほかの隊員もそれを味わってるんだと思えば我慢もできる。


日本語授業をおえて戻ると、机の上に2年の先生が明日の授業見学の予定を組んでくれたメモがあった。


救われた。ほんとに救われた。


あのときは本当にもう日本に帰ろうかと思った。

なんでこんなやつらのために、がんばってやらなきゃいけないんだと。

でも、いい。がんばれるだけ、がんばる。
その先生にお礼を言いに行った。

ありがとう。

夜に日本の知人のところへ遊びに行って、ついでに砂漠で星を見てきた。

-6.5度だったので寒くて少しだけしか見られなかったけど、

数千、数万の星と流れ星、天の川を眺めて少しリフレッシュ。


明日からまた頑張ろう。
涙がこぼれそうでも、男の子だから泣かないぞ。


この道を行けばどこ行くものか。

迷わず行けよ、行けば分かるさ。


分かるだろうか?   

でも、迷いながらも行くよ。
5か月でようやく一歩進んだんだ。もう一歩も下がりたくない。

2008年11月26日水曜日

時には起こせよムーヴメント

どうも、連日失礼いたします。
がけっぷち隊員の私です。

消滅の危機にあった日本語授業ですが、持ちこたえました!

めずらしく強めに「こうしたい」という意思を人に示した成果か、
それともあまりにもかわいそうじゃないか、という配慮が働いたからか 、自分の希望が通りました。

今後は3,4年生を一緒にして月・水曜の2回、5年生を火・木曜の2回、自習の時間を使って40分やれることに。

おめでと~~う、オレ
ありがとう、みんな。

 そして、(本物の)美術の先生が新校舎ができたことにより、1・2年生とともにここへ来たのでいろいろ交渉しました。

美術教師としてここへ来たって伝えたら「じゃあ授業やって見せて」って言われたので、さすがに指示の出し方や中国の授業の仕方がよく分からないので、今後授業を見せてもらいながら自分の授業を手伝ってもらって、一人でやるようにしていくってことを確認。

そして、2年生の国語の授業に生徒として参加して言葉の勉強もしていくように調整中。

国語や英語、美術などいろいろな教科の授業も見ることができ、 この3日間で大きく前進しました

っていうか、これって本当は一日目に話し合うことだけど。

本来。

一人きり放置された夏休みが終わってからちょうど3か月。


いやあ、大切な時間を無駄にしたわ。

今になって、ようやくスタートラインに立ちました。

ちなみに、校長やカウンターパートとはいっさい話通してません。

無駄なので。

でも、いい加減教科書をもらえるように相談しなきゃ。

2008年11月24日月曜日

久しぶりの!!!!

銀川に行きました。


そして、久しぶりの



洋食!!!!



ピザ。ピッツア!!!!


いやあ、本当においしかったです。店長はアメリカで修業したらしく、

アメリカ仕込みにしてはかなりおいしかった。

感動しました。そして、3人の先輩隊員(年下も含むが先輩)と一緒にお食事。


その後、日本から留学してきている学生二人の日本語の授業を見に行き、夕飯を寧夏大学の学生たちと一緒に食べた。


中国では、日本のアニメが大人気で

男の子はスラムダンク、ドラゴンボール、NARUTO、ガンダムなどが特に好きらしい。

女の子は・・・よく分からないけどとにかく少女漫画?が好きみたい。今度聞いてみよう。「僕の彼女はサイボーグ」とか「恋空」あたりも人気らしい。

そして、BL(Boy's Love)という言葉は中国の若者の80%が知っているらしい。
自分は知らなかった。そしていまも分からない。誰か教えてください。

あと、「オタク」とか「やおい」という言葉がマンガ好きの中ではかなり認知されているらしい。


日本の産業で外国との友好関係に一番役立っているもの、それは間違いなくアニメとドラマ、音楽です。

台湾は特に親日として知られているけど、韓国、中国でも大人気です。ジャニーズとかね。


ちなみに、
中高年にいまだに人気なのは高倉健と山口百恵、北国の春。


中国人が必ず知っている日本語は、「バカヤロウ」と「ミシミシ(めしめし)」です。これは戦争映画の影響。旧日本軍がよく言っていたらしい(ホントかどうかは分からない)。


オリンピック前は「イヂバン(一番)」が流行したそうで、いかにも中国らしい。

日本語やるっきゃないでしょ

今日は新校舎が完成し、今までほかの学校の教室を借りて学習していた1,2年生が帰ってきた。

なんだか校内がにぎやかになった。

そして、今日から突然登校時間などが変わった。

登校時間はどうでもいいのだが、午後の課外活動の時間も変わった。

今まで、この中の40分の時間(実質30分)を使って日本語の授業をしていた。

それがいきなり15分になった。そのあとは40分の自習時間。

ええと、私の授業は?15分?


NHKの外国語講座か!!とツッコミたくなった。


もともと日本語教師になるために来ているわけじゃないので、
本来はなくなったっていいんだけど、何せ今は美術の授業がないので。

一応担当の先生に相談に行くと、ちょっと校長と相談してみるって言ってもらえた。

その後音沙汰がなく、授業の時間になってしまった。

子どもが来なかったら、もういいやって思いながら教室に行くと



ちゃんと来てくれました。3年生。


自習の時間を潰してきたってことかな?


ともあれ、来てくれてよかったです。


あとは、この授業をどのように、どの程度まで教えるか。


小学生に、一週間に30分のペースで。


これが問題です。


日本語つかったゲームでもやろうかな。

2008年11月17日月曜日

極寒

寒過ぎる。


この何日か、気温は下がりっぱなし。

ようやく本物の冬が来たようです。(でもまだまだ序の口らしい)


今朝の最低気温は氷点下8度。


温度計があまり信用できないので、実際は-6度くらいかもしれないけど、


とにかく寒い。


外に出て1分もすると体温が急速に奪われて代わりに寒さが骨の中に入ってきます。


顔なんかもう寒いっていうか、ただ痛い。


私はここの冬を乗り越えられるのでしょうか。

ああ、みなさんさようなら。

喜酒

喜酒、中国語でシージウという。


その名の通り喜びの酒、つまり結婚式で飲むお酒の事。


昨日は中国にきて初めて結婚式に参加しました。 お互いに漢族なので、いわゆる少数民族の独特な感じではなかったようだけど、日本では考えられないようなこともたくさんあった。


自分は新婦側の友人で、その人はお世話になっている砂漠協会で事務員をしている。
一週間ほど前に招待状を持って「参加してね」と言いにきた。 もちろん結婚するのはずっと前から知っていたけど、日本なら最低でも3か月くらい前には必ず招待状を出すので、そこにまず驚く。


午前11時開宴。 結婚式で遅刻はさすがにみっともないので、早めに家を出て10時45分に到着。
席が150くらい用意してあり、なかなか素敵な感じ。

でも従業員以外には人は5人しかいない。
受付には従業員が食べたと思われるひまわりの種が散乱している。


11時5分前。やっぱり10人足らず。


11時20分。2~30人。 砂漠協会の人が一人現れる。「まだ始らないの?」ときくと、「新郎新婦が来てないから。」と。


12時。100人以上になった。

12時15分。 新郎新婦が車で到着。車を降りると新郎が神父を、いや新婦をお姫様だっこして会場入り。

心労は、いや新郎はすごい汗かいていた。相当きついのだろう。

子どもたちがなんか紐みたいなのが出るスプレー缶を二人に猛烈に噴射させたり、クラッカーを鳴らしたりして祝福。 そろそろ座ろうかなと思ったらなぜか席がない。

あんなに早く来たのに。

日本と違い、座席の表示札などはなく好きな場所に座るらしい。


別にCan you celeblate的なロマンチックなBGMとかもなく、モンゴル民族衣装を着た司会者が二人にインタビューして「だっこは疲れたか」とか「(相手に)愛してるって言って」とか言ってる。

しかも、後ろには二人のどでかい記念写真が。 おれも今度撮ってもらおうと思う。 そしてなぜか新郎の両親は顔に口紅や靴墨みたいなので落書きされてる。

なんかのおまじないかと思って従業員に聞くと、一種の祝福のいたずらだそうで、あんなのを普段やられたら、ただの嫌がらせである。


そして、司会者の話なんて聞いておらずしゃべったり食べたりしてる人が多い。これは日本も同じようなもの。

で、特に大層なイベントとかはないらしく、われわれごく近い関係者は2階のVIPルームにて会食。
結婚式見られないじゃんって思ったが、仕方ない。しかし、結婚式で別室って、日本でもあるのかね。聞いたことない。


下では歌手が歌って参加者に酒を飲ませるいつものパターンだろうからいいんだけど。

んで、しばらくしてから新郎新婦がワイングラス2つになみなみ注いだ白酒(42度)を持って挨拶にきた。

といっても別に謝辞を述べたりはしない。ただ酒をすすめて飲ますだけ。こちらはおめでとうと声をかけ、お酒を飲むと「ありがとう」と言ってくる。


気がつくとVIPルームの人たちが半分くらいいなくなってる。




もしや・・・・・・帰った?!




聞けば新郎新婦が酒を注ぎに回ってきたあとは自由に帰ってよいらしく、結婚式といっても結局普段の宴会を大きな規模にしただけらしい。


祝った後はお構いなくってあたりが中国らしく、その潔さが気持ちよい。

白酒をたらふく飲まされた後下へ降りると、奥の方でまだ二人が客に酒をふるまっているが、すでに他の人は皆帰宅。


実にさびしい光景である。






こぼれ話


さて、自分はその後、4人の仲間と近くの喫茶店へ移動し、2次会?
大嫌いなウイスキーとコーヒーと(なぜか)酢を飲まされる。

その後、マッサージ店で足ツボしてもらいながら3次会、兼休憩。これが一番良かった。


6時から再び料理屋で4次会。(宴会)
テレビ局の局長やら新聞記者やら、プロの二胡演奏者なども合流し、また白酒。


9時に解放されるまでに5回ほど吐き、吐いては飲み飲んでは吐きって感じだった。

結局この日は、白酒→ウイスキー→白酒→ビール で8時間耐久レースとなりました。



もはや喜酒(シージウ)ではなく、死酒でございましたよ。




恐るべし、中国。














2008年11月15日土曜日

調整員の訪問

JICAにはそれぞれの国に現地事務所があり、そこにボランティア調整員という人がいます。

ボランティア(自分たち)の活動や生活などいろいろな面についてサポートする方々です。


そして来ました。調整員とナショナルスタッフ(中国人スタッフ)がわざわざ自分のためだけに。


うちの校長と、今後の自分の活動について自分の要求も含めて話してもらいました。

日本語の授業も見てもらい、ついでに写真撮ってもらいました。

そのうちメールで送ってもらったらアップします。


んで、学校側が授業をやらせない名目になっている語学力についても見てもらったところ、

「知っている単語はまだ少ないけれど、使っている言葉は発音もすべて正しいから、今ぐらい喋れれば授業は十分やれる」
とナショナルスタッフから太鼓判を押してもらうことができ(ホントかお世辞かは分からないけど)、校長先生にもそのようにプッシュしてもらったので、「近いうちに授業をしてもらいます」って言ってもらえました。

やったね。


やっぱ中国人は上の人間に弱い。

とはいえ、中国人の口約束は信用ならぬ。
近いうちっていつだ?教科書すらもらってないのに。とも思う。


お客さん(しかも重要な)が来ているので、食事は毎回宴会で、毎食酒を飲む。
参りました。これはきつい。 調整員は出張のたびにこれだもん。大変だ。


んで、とりあえずせっかく日本語喋れるスタッフがいるし、いい機会なので日頃から気になってた中国語の表現などについてたくさんおしえてもらったのが一番の収穫。

今のアパートと目星付けてる引っ越し先についても見てもらい、 前向きに考えてもらえるように、プッシュプッシュ。

結論はまだですが。


ついでに砂漠にも行ってきて、パジェロで疾走。すごかった。

とにかく短い時間だったけど調整員さんが来てくれたおかげで砂漠を突っ切るように道が開けた気がします。

谢谢大家!!調整員様万歳!!


あ、ちなみに 写真はここ内モンゴルと寧夏自治区との境界線になっている万里の長城。
高さは約4メートル。

これは、北京の万里の長城。ぜんぜん違います。

2008年11月8日土曜日

当番活動

この学校では毎週当番のクラスがあります。
何の当番かというと朝や帰りはもちろん、休み時間のたびに学校内のあちこちに立って、先生が通るたびにあいさつをする当番。
たとえば朝校門の前を通ると彼らは手をあげて中国式の敬礼のポーズをとり、
「老师早上好,祝你工作顺利!」(先生お早うございます。お仕事が順調でありますように!)
などという。
いや、お仕事がうまくいくかどうかは君たち次第だし、君たち相手の仕事なのに君たちに励まされても・・・

中国は教科担任制だから?授業終了後、「先生さようなら」ということがあるが、
時々最後に「老师辛苦了!」(先生お疲れさまでした!)
と言うのが一番ウケる。お疲れさまって・・・・(笑)

帰りには「老师再见,请慢走。」(先生さようなら、お気をつけて!、またはごゆっくり!)
なんて言ってくる。

そういう彼らは確かめもせずに大通りに飛び出したり、大通りでドリブルしていてボールを追いかけて急に車の前に飛び出したりする。
よっぽど「そちらこそ気をつけて」と言ってやりたい。

あいさつをする時、決まって彼らはその人が目の前を通る瞬間を見計らって言うので彼らが言い終わったときにはもう自分は通り過ぎてしまっていて挨拶を返すにはわざわざ振り返らなくてはいけない。
ほとんどの先生たちは全然気にしてないというか返事なんかしてあげないのだけど、黙っているのは気持ち悪いので自分は先に言うようにしている。
すると彼らはかえって自分たちのタイミングを逃すらしく、挨拶が言えなくなってあたふたするときがあるのが面白い。
日本語を教えている子が当番だと、たまに「サヨナラ」と言ってくるのでうれしい。

また、掃除については金曜の一斉清掃の時間に皆でする以外に、クラスの各班が当番制で時間や場所をきめて掃除をしている。当番の日は自分の家からほうきとちりとりを持ってきて、ゴミを拾ったり砂やほこりを掃いたりしてがんばっている。

でも、せっかく掃除してもそのほうきを持っている子でさえ、学校の隣で買い食いしては、その袋をぽいっとその辺に捨ててしまう。なんならそのほうきでもう一回集めたらどうかと思う。

先生たちも子どもに自分たちの事務室を掃除させたり、自分で拾わずにゴミを拾わせたりするし自分たちが遊んでいて転がって行ったボールを取りに行かせたりしているので、なんか子どもを使って当たり前というか、教師の絶対的権威が存在するんだなあと思う。

まあおそらく北京の学校なんかはもっと違うんだろうけど、先生の権威がなくなった日本の学校を考えるとはるかにやりやすくていいなあと思うが、権威をはき違えている人も多いのが残念。

2008年11月5日水曜日

JICAボランティアはお手伝いさん?

中国人に限らず日本人でも怠け者はたくさんいるんだけど、もちろんそれはわかっているんだけど。

そして、タイトルに書いてあることが、ここで仕事していて一番引っ掛かっていること。

中国人にとってボランティアって、出世のための手段の一つ。

 だからなのか、俺が出世のためにここへきていると思っている人が多いみたいで
よくお手伝いさん扱いされます。お客さん扱いはもっといやだけど。

 前回の体育教師のつづき、中国の先生はPCで文字を打てない人が多い。12~3年前の日本の先生たちをイメージしたら同じ感じ。

さて、体育や学校衛生環境などについて、日本で言う教育委員会から報告を求められたようで、担当になった体育の先生が手書きで下書きを書いてきた(たぶん自分で書いた)。

そして自分のところへ。

「これをPCで打ってくれ。」


     なんで?


お願いするってよりは、これはお前の仕事だって感じであれこれ説明をされ、仕方なく作業開始。

こちらの承諾なんかもともと得る気がない。 たとえば英語の先生に頼まれたら、そりゃあ僕は暇ですからって気にもなるけど、でも彼は体育の先生ですから 。

「あんた毎日暇だろ。ゲームやってる暇があるんなら文字の打ち方勉強しろよ」(って思う)。

しかもなんで君たち中国人の母国語の入力を外国人に頼むんだ?(と思う)。

んで、作業が80パーセント終わったところで、「この資料はもうこれ以上打たなくていい」ときた。 今日最終的に「ここを修正してくれ」って言って持ってきた資料はすでにPCで打ってある。

なんだ、自分で頑張ったんだ、やればできるじゃん、って思ったら、

タイトルに「第六小学校」って。



ええと、

うちは「第二実験小学校」ですけど。


パクったっていうより、そのまんまじゃん・・・

そういや昨日となりで盛んにこの件について誰かに電話してたな、あの先生。

人に作らせた資料のうち半分を無駄にして、結局他の学校の先生が作った資料を送ってもらってほぼそのまま(名前と数字以外)流用しちゃうその潔さが中国人らしく、

もはや感動すら覚えました。

困難を乗り越えてこそ、自分の力がつくんじゃないか?諸君。

自分にとってはいい勉強になるから構わないし、今回いろいろな単語を勉強できてとてもよかったんだけど、彼らは今後も自分が努力しないですむ方法を選択し続けるのだろうか。

なにより一番の問題は、今回楽しちゃったので次回も彼は文字が入力できないってこと。
これをなんとかせねば。でも染みついた習慣というものは、なかなか変えられるものではない。
ううむ、

とりあえず、彼は最後に一言「谢谢」と言えたので、まあよしとしよう。

2008年11月4日火曜日

体育の授業?

どうもPC隊員(なかば干され気味)兼、日本語教師(授業に生徒が来ないこと多い)兼、股関節の筋が痛い私です。

都市部はちゃんとしてるらしいけど、この学校の先生は体育をちゃんとやりません。

 一週間のコマ数はだいたい12から15くらい。授業ではなにをするのかというとまず整列する。並んで走る。

 ここまでがきちんとできていないと「しばらく立ってろ」みたいなこと言われて放っておかれたり、走り直しさせられた後、週3回のうち1回はなんかしらのちょっとした運動をする。 
 例えば体操(ラジオ体操みたいなの)、ボールつき(ただ足元でボールつくだけ)、サッカー(7~8人が円になってパスしあう)、バスケ(サッカーと同じようにボール投げ合うだけ)などをする。
 残りの2回は自由活動。要するに好きなことして遊んでいるだけ。 道具は自由に使わせてもらえないのでゴムとびとかバスケとかバレーボールみたいなことしてる。
 しかも、やりたくない子は座っておしゃべりや虫探ししてる ・・・もはや体育ですらない 先生はというと電話していたり、たばこ吸っていたりするだけで、別に何も指導しない。


なにせ「自由」活動だから。


 これは・・・授業?
 
 これは・・・教育?

 体育の先生はなんだかんだ管理職からいろんな仕事を頼まれることが多い(らしい)けど、空いた時間(ほぼ空いてる)はネットでトランプゲームしてるし、授業の準備なんてしない。
 指導案は毎回書いてるみたいだけど、あれにはいったいどんな指導目標が書いてあるのだろうか・・・ 何より、どうやって成績つけるんだろう・・・・

彼らは自分たちの指導に妙に自信を持っているし、以前自分が体育の授業ならできるって言ったら「お前の専門はなんだ?おれはこれができるぞ」って言ってたけど、どうせ何も教えないんだもん。バスケの経験が10年あったって、ドリブル練習やパス練習もしないんだから意味ない。

確かに日本の体育だって見方によれば「子供の普段の遊びを体育の時間にやっているだけ」っぽい運動もあるけど、それでも、それなりに目的や身につけさせたい狙いや目標ってものがある。

  しかも、音楽の先生は今3人で、美術は1人(自分含まず)しかいないのに、体育は6人もいる。
どうしたものか、このあり方。美術や音楽、体育の情操教育の問題は途上国ならどこでもあるものだけど、現実は本当に厳しいなあと思う。

 でも、カンボジアだかどこかではひたすら行進するだけとかラジオ体操して終わりみたいな授業するところもあるみたいだから、子どもたちが「遊ぶ」時間があるだけマシなのかも。 最後に中国の名誉のために補足。国語、英語、算数の先生は結構忙しくてコマ数も多い。何せ授業の準備とかノートや宿題の添削があるから。 そして、給料も違う。彼らはかなり黙々と仕事してます。そして、英語の授業は絶対に日本よりレベル高い。
5年生が日本の中学1年か2年レベルの英語やってるし、なるべく英語で授業する。これらはなかなかはすごいと思ったので今度紹介します。

2008年10月31日金曜日

ようやく

3日前からずっと断水。

さっき帰ってきたら、ようやく水が来た。

のち、停電。


まじかよ。


せっかく水が出ても、お湯沸かせないじゃん。


シャワー浴びたら凍死する・・・・


でもどうしようもないから、あたりが真っ暗になる前に、食事に出かける。


ビール飲んでおしゃべりして帰ってきたらなんとか復旧してた。



ほっ。




よかった、これでシャワーを浴びられます。



4日ぶりに。


あ~、頭かゆい。

2008年10月27日月曜日

初植林

植林に行ってきました。

砂漠地方なので、日本人が何箇所かで植林活動を行っています。

今回はオトク旗というところで活動している坂本さんが企画したツアーに参加。

元協力隊隊員でもある坂本さんの活動については
以下を参照してください。

今回は2泊3日での参加で片道およそ10時間かけて到着。

到着してすぐに林業局の方や協力してくれている方々、そしてツアー参加者と夕飯、つまり宴会、つまり白酒を飲んだ。

自分がいつも飲んでいるのよりもなんかまずくて、気持ち悪かった。

あとでわかったのだが、いつものは42度。今回のはなんと52度でした。

そりゃ気持ち悪くなります。

肝心の植林は翌朝、なんかまだ頭がふらふらする中2時間ほどかけて移動し、砂漠化が進行する場所へ。

ここオトク旗は雨が比較的多く、地下水もどうやら豊富なようで、自分のいるアラシャンよりもずっと植林の条件が良いと思った。
植林の方法はその辺に生えてる砂柳(シャーリュウ)という草(木?)を切って枝分けし、40㎝くらい掘った穴にさして土を戻す。これだけ。

なるべくその後の管理がいらない方法で、簡単に、費用をかけずに行うというのが坂本さんの方針のようで、なんかちょっと物足りないような感じもしつつ、人の手がなくとも育つやり方が一番だなと実感。
午前中1時間半程度活動し、昼食をとりに村の集会所へ行くとなんかいやな気配。

歌手がいる。

つまりこれは、宴会が始まるという意味。

予想通り、(坂本さんの予定にはなかった)昼間っから本気で白酒の歓迎を受けることになり、でっかい盃で乾杯する。
次第にみんなが部屋から静かに逃げていく。

もう飲みたくないのに、どんどん飲まそうとする。

彼らはただ歓迎したいという思いでやってくれているので受けないわけにもいかず、がんばる。

結局気づけば昼食で3時間も経っていた。

最後に出てきたヒツジ料理はホントにおいしかったけど、酔っ払っていて午後の活動はみんなふらふら。
上の写真は、スコップで穴を掘って車が出られないように、いたずらしてるとこ。
ちなみに移動にパトカーも使っていたんだけど、それにもいたずらしてた。

翌朝、ほとんどの人が帰るようだったので、じゃあ自分もってことで出発したが、実際はそこに残ればまた夜に飲まされるから逃げた。

植林活動に参加できたのは良い体験だったけど、木を植えた時間よりも酒を飲んだ時間の方が3倍くらい長かった旅でした。

今回の活動にはTVクルーもついてきて撮影。前回はテレビ大阪がきていましたが、今回はHBC(北海道文化放送?)でした。自分もちらっとうつるかも。

放送時期はまだ未定。

初雪

ふと眼をやると、そこは雪国だった。
朝、歯を磨きながら何気なく外に目を向けるとそこには白く染まった町があった。
前日の夕方からやけに冷え込んできたなと思っていたら、どうやら夜のうちに雪が降ったらしい。

それもそのはずで前日の20度近い気温から一気に1度まで下がったのだ。
新疆の方から吹き寄せた今年初めての強烈な寒気は内モンゴルの砂漠上空を越えるうちにさらに強まり、ここアラシャンでの初雪となったわけだ。
積雪はおよそ5㎝、たいした量ではないが山の方ではさらに多い積雪があったらしい。
一夜にして山は白化粧を終えていた。
榎本は中国にきて初めて見る雪景色に心が弾んだ。
こんな日は、本来なら家で炬燵に入り、映画でも見ながら時々窓の外に目を移し、雪景色を愛でて過ごすのが榎本は大好きだった。
しかしここは中国、先日から町中に供給が開始された、温水による暖房もさほど効いておらず寒さは体の芯まで凍み込んでくる。
部屋を出ると榎本は前日とはうって変わって低まった気温にうんざりした表情を浮かべた。
だが、雪の降った後に漂うにおいが榎本は好きだ。
山と雪と体を刺すような冷たい風に含まれるその匂いはまるで自分がスキー場にいるかのような気分にさせてもくれる。
職場までの道のりを景色と匂いを楽しみながらも、榎本は日本よりもずっと早い冬の到来に自分が海外にいるのだということを強く実感させられるのだった。

次回につづく(うそ)

2008年10月21日火曜日

ほら見たことか

よく、子どもが怖い映画をみようとすると「あんた夜眠れなくなるよ」なんていいます。

ホントかな?


ホントです。


日曜日、家から出たくなかったのでネットでホラー系の映画を3本見た。
「ホステル」「モーテル」「催眠」

それと、最近三国志にはまっていて、毎日読んでるけど、

戦のたびに結構残酷な表現が出てくる。

さらに、北斗の拳(アニメ)。


こんだけ人が死んだり血まみれになったりするものを一日で見てしまうとさすがに脳がやられます。

怖いからじゃあないけど眠れないし、寝てても頭の中にそんなシーンがいろいろ浮かんできてしまう。

みんな、あんまりホラーものは続けて見ない方がいいですよ。

きっと眠れなくなって、お母さんに言われます。


「ホラー見たことか」って。



まあそんなオヤジギャグがでてくる年頃の私です。

2008年10月18日土曜日

2週間

妻が来た。

国慶節の休みを利用して北京に迎えに行き、久しぶりの北京を満喫したのち、

ここアラシャンへ連れてきた。

サモハン達がいなくなってしまった(いなくなってくれた?)ので最近は本当に静か。カーテンを開けられないことやトイレの汚水漏れはあるものの、そんなに苦しい生活をさせないで済むように環境整備。浄水器や布団、毛布、その他もろもろを整えるいい機会になった。

しかし、まあ仕事もあるのであんまりかまってやることもできずお留守番。

でも家に帰ってきたときに「おかえり」と言ってくれる人がいるってのはいいもんだ。

夕方には近くの丘に散歩に出かけたり、近所でたまたま行われた花火を見に行ったりもしたけれど


帰国前日に、このままアラシャンのどこにもいけないんじゃあんまりだと思って、
知り合いに頼んで砂漠と南寺に連れて行ってもらった。

ほかにもここには書けないいろんな出来事があって大変だったけど、まあ何せ無事にここでの生活を過ごせてよかった。

飛行機苦手なのに、海外苦手なのに、こんな中国の奥地まで来てくれてありがとう。

次は忘れずにビザを取ってきてくださいね。(笑)


初授業

とうとう、ついに、ようやく、やっとこさ、なんとかかんとか

仕事に進展が!!!

今週から授業が行われたのですよ。


なんと日本語教師になりました。(笑)

教える相手はもちろん小学生。授業をすることだけは決まっていたけれども、「誰を何人相手にしてどこで教える」のか、授業が始まる10分前まで何にも教えてもらえなかったのでどうすりゃいいのか分からず、副校長に尋ねる。

どうやら2~5年生らしい。え、一斉に来るの?どうやって教えようか・・・・

なんて考えていたらその場でいろんなこと決めて、あわてて校内放送を入れて、3年生だけを集め出した。

てっきり教室に行ってそのクラス全体に教えるもんだと考えていたのだが、

何事も突然で直前まで物事が決められないのが途上国の常。

しかたない。

んで、授業を一応予定通りやったわけですが、結果は・・・・・・

面白かった~~!!!

いやもちろんそれは自分の感想。彼らにとってはどうだったか分からない。
各クラスから3人ずつ来ている学生も自分の意思で来ているのかどうかも分からないし。
どうやって選ばれているのか気になるところ。

いろいろ疑問があったので授業後にほかの先生に聞いたところ、月曜は3年生、火曜は2年生みたいに曜日毎に学年を分けたらしい。ということは週1の授業ということに。

一体何回授業をするのかも分からなかったので授業計画に困っていたがどうやら来年1月まではやるらしい。

でも、週1のペースで何を教えようか。

しかも相手は小学生。どれほどやる気があるのかも分からないし。

先生は子供のレベルを見て決めろという。それは当然そうするんだけど、週1。

系統だてて教えるには頻度が少なすぎるよなあ・・・・


まあでも、とりあえず自分にとっては初の中国語での授業!!!ということで

発音の問題も子どもに教えてもらいつつ勝手に楽しんじゃいました。

やっぱ授業は楽しい。生きてる感じがする。

あとはPC隊員→日本語教師ときて、次は本当に小学校(美術)教師になれるのかってところが疑問です。

道のりは長城のように長い。

2008年10月4日土曜日

インディアンウォーク

インディアンウォークというものを知っているだろうか。

いいえ、別に口に手を当ててアオアオ言いながら火の回りを踊るわけではありません。

人類文化学の研究者だか誰だかがインディアンの歩き方がとても速いことに気が付き、研究して発見したらしい歩き方。

速くて疲れない、究極の歩き方を!!!

モデルは小学4年生の遼太郎君です。
どこまで本当でどこからがガセなのかわかりませんが、一見の価値ありです。

なんせ本当に速く歩けるし、疲れない。

歩き方はいたって簡単。
インディアンウォークの仕方。2歩普通に歩いて、3歩目を大きくする。これだけ。

おいしい肉じゃがの作り方も簡単、醤油とみりん1:1、これだけ。

インド人もびっくりです。

video

そして今、あなたはこれを試してみたくて仕方ないでしょう。

よし今すぐ外に出て試すんだ!そして日本中にはやらせよう。インディアンウォークを!!!

北京旅行

中国では国慶節という祝日があります。日本でいう建国記念日です。

その祝日が今年からやたら長い連休に変わったので、北京に行ってきました。目的は妻を迎えに行くことと、ストレス発散。

久しぶりの北京にわくわくしながら飛行機に乗り、眼下に黄河を眺めて1500キロかなたの首都へ。
2か月半ぶりの北京はオリンピック前とはまた違った感じになっており、結構きれいでした。

内モンゴルで知り合った大橋さん親子と再会し、北京在住の院生とその彼氏にも知り合うことができました。

だんだん中国の知り合いが増えていくのがとてもうれしい。

また、妻が来てからは万里の長城(3度目)に行ったり、明朝の皇帝や皇后の墓がある十三稜に行ったり、またすごくおしゃれで懐かしい感じのする町並みに改築して作った鼓楼大街に行ったりした。そして、懐かしい日本食を食べに行き、刺身や明太子、サバの味噌煮に軽く涙して、北京を満喫してまいりました。

でも、こちらへ戻ってみて改めて認識。あれはホントの中国じゃないなあ。
地方を見ずして中国を見たとは言えない。ここにはまだまだ発展途上の国家があり、不便で不衛生な生活がある。

地下鉄や高層ビル、高速道路、水洗トイレ、コンビニ、ないものをあげればきりがないし、生活の水準も全く違う。家賃は10倍ちかく違うかもしれない。

たんなる旅行者としてはもうこの国を楽しむことはできないかもしれないなあ。

2008年9月26日金曜日

運動会(その1)

中国でも運動会をします。
以前は運動のできる子が出て、できない子は応援するだけだったようですが、今はみんな二種目ほど参加するようになったそうです。

ここアラシャンでも今日から3日間運動会。長すぎだろ、と思っていましたが、予定はかなりアバウトで3日間確保しているだけなので実際は3日目の朝には終わるらしい。
だったら終わってすぐに電車で北京へいけたのに、どうしてこの人たちはいつも事前に教えてくれないのだろうか。なんでも突然言い出す。途上国の常ではあるが。
まあ早く終わる分には問題ないのでいいんですけど。
ところがところが、最近やたらと雨が多い。

今年は7月まで、つまり自分が来るまで雨が非常に少なく、水不足だったらしいのだが、
自分が来てからというもの、雨が降る降る。毎週ふります。砂漠性気候のくせに自分が砂漠に行くといつも雨が降ります。今のところ4回中3回降った。勝率2割5分です、砂漠なのに。

そして先週から雨が続き、今日で六日目。あり得ない。ずっと降っているわけではないけど、六日連続。やばいよ、これ。
そして、めちゃめちゃ寒い。今日の最低気温は7度。最高気温は13度。最近は毎日こんな感じ。
服もすでに4枚着ています。この冬は相当寒いらしい。たぶん-20~40度くらいかな。
自分が生き延びられるか心配です。
日雇い労働者は一体どうするのか。日本では「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい」なんていいますが、こちらの出稼ぎ労働者は貯蓄なんてきっとないから雨で一週間も仕事ができなかったら生きていけるのか心配です。

そして、今日は運動会だというのに午後からやっぱり雨。どうやら明日も雨らしい。
聞いたところ、これまでに雨で運動会が延期になったことなんてないらしいから、自分の雨男加減にすごく責任を感じています。考えてみるとすみれ小でも毎年運動会は天気悪いし、他の行事も雨が多い。でも砂漠の緑化には重要だな、おれ。

とりあえず、彼らに自分が雨男だと言ったら本気で自分のせいにされそうなので今のところ黙っていようと思う。

2008年9月22日月曜日

アイヤー(哎呀)

中国人はアイヤーとよく言います。皆さんもテレビや漫画で聞いたことあるでしょ。初めて生であれを聞くとちょっと感動します。でも自分が使うとなるとちょっと気恥ずかしい。


さて、国慶節に合わせて妻がこちらに遊びに来る予定。

なので、28日の日曜日に列車に乗って18時間かけて北京へ行くつもりでした。

が、今日気づきました。ていうか今日知りました。

28日は運動会だった・・・

思わず叫んでしまった。


アイヤー!


しかも正確には、26日から28日の3日間にわたり、運動会


オリンピックか!

しかもしっかり開幕式・閉幕式まである。聖火リレーはやらないらしい。だれも妨害しないと思うが。

しかし、いくら児童数が1400人くらいいるといっても長すぎだろ。

ここでは月に1度職員会議が開かれるのだが、日本のそれとはまったく違って、校長や党の書記の話がほとんどで議案を討議したり意見を述べたりすることはない。ただ聞くだけ。みなさん私語はしても意見はしない。
また、会議録のようなものもないため、内容があまり聞き取れない自分にはたとえそこで運動会の日程を言われてもさっぱり。だから運動会があるのは知っていたものの、いったいいつ行われるのか全く分からなかった。

てな訳で、さすがに休みは取りづらいので、やっぱり飛行機で行くことになりそう。

2008年9月21日日曜日

9月、10月の行事その2

9月18日は日中戦争開戦。

朝突然学校中、いやたぶん町中に空襲警報のサイレンが鳴り響いて10分くらい続いた。一緒にいる先生に「今日は気をつけろ」と言われた。なんの音か分からなかったけど、後になってそれがわかった。あの時のんきに誰かにこの音なんですかって聞かないでよかった。

そういうことも知らないでいた自分が恥ずかしい。


10月1日~3日は国慶節。

いろんな会社や学校などが間の土日も休みにして9連休くらいになっている。日本のゴールデンウィークみたいな感じ。

由来は・・・ 第2次大戦で日本の敗戦後、アメリカに後押しされた国民党とソ連に後押しされた共産党との間で内戦が起こり、最初は中国の大部分を国民党が押さえ共産党は旧満州を押さえていましたが、徐々に共産党が勢力を増していき、国民党軍(蒋介石)を追い出したあと、毛沢東が北京の天安門で中華人民共和国の成立を宣言した日が1949年の10月1日で、つまり中華人民共和国の建国記念日らしい。

そんなわけで、超大型連休はチケットもめちゃくちゃ高く、上海行きは通常の3倍でした。キャンセルして北京に変えた。

9月の行事その1

9月10月はなにかと行事が多い。

9月11日は教師節。 教師の日頃の教えに感謝し、労をねぎらう日?のようだ。ほかの労働者も労うべきだろうが、日本では批判されこそすれ、あまり感謝されることなんてないので少しだけうらやましい。 授業は午前で終了。午後は先生たちと表演(演技)を行う一部の児童で何か会が開かれた。お祝いに150元もらった。 その後バスで移動してレストランでお食事。 白酒(42度)をたくさん飲まされる。瓶の半分くらいなら全然平気になってしまった自分が少し怖い。

9月15日は中秋節。 月が一年で一番きれい。なぜ祝うのかは知らなかったので調べた。

「農暦8月15日は、古代中国の帝王が秋の季節にお月様を祭る礼に由来します。中秋節には家族が集って月餅を食べたり、月を愛で、周りの年配者や、親戚、親友に月餅などをプレゼントして親睦を祈念する願いの日です。」ということらしい。

また、このころ花盛り(旧暦)の菊を楽しむ。だから月餅はその菊を模っているんだということに先日初めて気がついた。

2008年9月19日金曜日

中国について考える

サモハンたち季節労働者がいなくなった。

単純に自分の生活だけ考えていけば、静かになって結構うれしいのだが 彼らのことを考えるとすごく複雑だ。

安定した収入・仕事・生活が得られないということは本当にかわいそうだと思うし、またそういった生活をせざるをえない中国の貧富の差にいらだちを覚える。

中国の都市部北京や上海などは物価がとても高く、農村はその1/3とか 1/4の収入で生活しているところも多い。
生活は大きな差があり、でも金利は都市部の金利と同じ。生活苦から金利についてよく分からないままに借金をしてしまい、とてつもない金利に返済不能になって自己破産する人民も多いという。

これまでのオリンピック景気と安い人件費は、都市部においてサモハン達のような地方からの出稼ぎ労働者をやとうことで安価な労働力を確保して保たれていた。(日本でも契約社員や日雇い労働者問題など非正規雇用問題があるから同じことだが。)

今後この景気が急速に失速することは間違いないとみている。
オリンピックが終わり、2年後の上海万博終了に向けて中国の景気はこれからどんどん下降していくだろう。

大都市で地下鉄や高層ビルが次々に建てられていく一方で、農村には仕事がなく生活に困窮している人々があふれている。

貧困に耐えかねた人民による暴動が頻発していることも報道規制されていて多くは報道されないが、みな知っている。

今後バブルがはじけて長期不景気に陥った時、中国の体制はどうなるのだろう。彼らの生活はどうなるのだろうか。

今、元の通貨価値が一気に跳ね上がる可能性を考え、中国人の中にも預金を外貨にしたり、体制崩壊に備えて国籍を海外に移して国内に住み、自分の資産を没収されないようにしている人も増えているという話だ。

文化大革命のときにひどい目にあった人たちはもうこりごりだと思っているのだろう。

このカウントダウンがいつ0になるのか、その時どうなるのかは分からないが、すくなくともサモハンたちのような人々がきちんと生活できるように農村を含めた「人民全体」の生活をよくできるようにしてほしいし、JICAのような組織の協力がその助けになれたらいいと思う。

どこかの新聞の社説のようになってしまった。

さらばサモハン

最近サモハンたち(隣の住人)がやけに静かなので、過ごしやすかった。

昨日帰ってくるとなぜかベッドを外に運んでいた。

夜になっても物音がしないのでおかしいなと思っていたら、 彼ら、引っ越ししていました。

やはり彼らは季節労働者(打工)だったのだ。仕事がなくなったから出て行ったようだ。

(彼ら季節労働者についてはいろいろ考えることがあり、他のところに書きたい。)

部屋はもぬけのから。いや、正確にはちょっと違うか・・・ おみやげが多すぎ。



普通、引っ越しするときって掃除していかないか?

ごみを放置していくあたりが中国っぽい。さすがです。
これでしばらくは静かな生活が送れます。
でも、最近トイレの漏水が だんだんひどくなってきていて、ぴちょぴちょと水の落ちる音が 便器の内側から聞こえてくる。
新しいのを買うと工事費込みで 1000元近くかかるし、馬頭琴の練習もしたいので 引っ越す
・・・つもりだったのにサモハンたちがいなくなって理由がひとつ消えてしまった。
でも、ぜったい引っ越してやる。

2008年9月11日木曜日

世界はせまい

アラシャンには2つの日本の団体が緑化活動に取り組んでいる。

ひとつは以前ちらっと紹介したOISCA(オイスカ)、

もう一つは「世界の砂漠を緑で包む会」。

この会が、私の現地での家や身の回りの費用を負担してくれているのだが、
今回は3度目の研究所(事務所?)訪問をした。

中国の寧夏大学と日本の大学から学生が研究のために来ていて、交流会(つまり宴会)を行うとのことだった。

そして、この中国の内モンゴルのアラシャンにきている日本の大学が、


なんと武蔵工業大学

考えられない確率です。なぜかというとこの大学、キャンパスは世田谷と横浜の2か所にあるんだけど、彼らのいる学部は

まさにその横浜にあり、私の勤務先、すみれが丘小のすぐ近くにあるからなのです。

こんな世界のなかのちっぽけな場所で同じ国、県、市、区、町の人たちと出会うなんて

人生はなんて面白いんだろう。

引率で来ている教授はもうほんとにうちの学区に住んでおり、コープとか郵便局とかすみれが丘入口とかめちゃくちゃローカルなネタを話すことができておもしろかった。




宴会では日本の学生たちはあちらの学生に白酒をうまいこと飲まされて、あっというまに撃沈。

かわいそうにまあ、みなさん大変なことになっていました。

ちなみに、彼らの名誉のためにつけ加えておくと、彼らは本当にまじめで
研究のための調査活動を最後まで熱心に行い、そして普段はお酒を全然飲めないのにがんばって飲んだらしい。いやあ、立派です。

そして一人の中国の学生も酔って暴れて、トイレを壊してしまった。

それを目撃してしまい、他の学生が「やばい、見られた」って顔をしながら「没问题。」(問題ない、大丈夫)と言ったが、どう考えてもそれは有问题(問題あり)だろう。

まあ、学生は所詮学生だねと教授と大人の会話をしつつ、外へでると

キャンプファイヤーと打ち上げ花火で寧夏大学の人たち(と日本人数名)はさらに盛り上がった。



さんざん飲んでいたのに、歌に合わせて踊ったり走りまわったりしたおかげでさらに酔いが回った。



その後、皆さんが引き揚げたあとでスタッフと片付けをすると、彼らは12時を過ぎてから麻雀を始めたのでしばらく眺めた後で、本を読んで就寝。

あれだけ飲んでから本を読んで寝るだけの余裕ができたことに驚いた。

きっと中国語よりも酒の強さのほうがレベルアップしたと思う。

翌朝聞いたところによると、

12時頃から2時頃まで、外で他のスタッフが大ゲンカして殴りあっていたらしい。

大人もたいして学生と変わらないじゃん。(笑)

ともあれ、


武蔵工大のみなさん、楽しい時間と出会いをありがとう。

負けへんで

このアラシャンに来て約2か月経ちます。

最初の1月半は夏休みで放置。 何もすることがなかった。

そして、新学期が始まって2週間、最初の職員会議の時に先生たちに紹介されたので、だいたいの先生には自分がいることを知ってもらえている。

が、実はまだ授業がない。

子供たちにも紹介してもらえない。授業の見学もできない。自分(専用)の机もない。

だから、学校で行われているいろいろなことが(らしい)としか分からない。

この2週間でした仕事は、

・学校のホームページ作り。のための、FLASHの勉強。
・各教室のプロジェクターとパソコンの設置。
・6台のPCのOSとアプリケーションのインストールとネットワーク接続設定。
・データのコピー、印刷

一体何のためにここへ来たのか。毎日悶々としてしまう。

本来小学校の美術教師として要請されたことにはまったくカスっていないが、一応することがあるだけマシだと思い、もくもくとがんばってきた。

でも、学校では人との交流がない。一日中事務室でパソコンに向かって作業。美術の授業が見たいと言ったら、教師用教材のVCDを渡され、これを見ろと。そうじゃなくて交流がしたいんだという気持ちを分かってもらえない。

学校側は日本の教育技術を特に必要としていない。いわば国際的な活動をしているという箔をつけるためだということを前任者から聞いていたが、本当だと実感した。

でも、焦ってはいけない。活動は1年半ある。
言葉を覚えていないやつが能書き言っても説得力はないだろ。

我慢。 我慢。 我慢。 我慢。 我慢。

必要とされていないなら、必要な人材になってやろうじゃないか。

まずは最高のHPを作って、文句のない仕事してやろうじゃないの。

来週からはHTMLの勉強だ。

やってやるさ、なってやるさ、 最高の「コンピュータ隊員」に!!

「小学校教諭」になるのはそのあとでいい。

おいちゃんは負けへんで。

2008年9月5日金曜日

中国の小学校(教師編その1)

内モンゴルの小学校を紹介します。

教師の出勤時刻(夏場)は朝7時半。出勤のチェックをしている先生がいて、出勤時刻だけはうるさい。

始業は8時。 授業が始まると1時間目のない先生たちがまず最初にすることは、ぞろぞろと朝ごはんを食べに外へ出かけること。

だったら朝の出勤だって適当でいいじゃないかとひそかに思っているが面倒なことになりそうなので口には出さない。

今日は出勤してから8時15分く過ぎまで、(いつの日か)日本を紹介するときに使おうと思い、ネットで日本食とか温泉とかの写真を検索してたら「日本のおいしい料理か、なるほど。でも今やるのはよくない(そういう時間じゃない)」みたいなことを言われたので、「そうか勤務時間中はしっかりやるんだな。すみません」と思ったが、2分後朝ごはんに連れて行かれた。そっか、そういう時間なんだ。

午前の授業は4時間で、1コマ40分。

休憩時間は10分だが、2時間目終わりは20分休憩。いわゆる中休みってやつ。

3時間目終わりには目の体操を行なう。(らしい)目のまわりなどをマッサージして学習の疲れをとる(らしい)。

11時半に4時間目が終わり、昼休みに入る。 先生たちはだいたいみんな帰宅し、食事する。
午後2時半に再び出勤。 3時始業。

1,2年生は6時間目が終わると帰宅。

3年生以上は8時間目まである。

が、7,8時間目はなんかいろんな活動の時間になっている(らしい)。

6時間目終わりにまた目の体操をし、7時間目終わりは中休み。

そして午後6時終業。教師は6時10分に退勤。 残業をする人はほとんどいない(らしい)。

一人当たりの1週間の授業数は教科や人によって違うが、およそ15時間。空き時間が多いので、事務作業はその間に出来る(と思う)。

会議や研究会などはほとんどない。

自分のいる部屋にはちょくちょく暇そうな先生が立ち寄りにくるが、こっちの先生に言わせると学校の先生は忙しいらしい。 実際のところはどうなのか今はまだ分からないが、きっと中国ゆえの大変さもあるのだろう。

中国では日本のように一つの職員室みたいなのはなくて、学年ごとなどに部屋が分かれているのであまり他の先生とのかかわりはない(と思う)。

一番交流できるのは朝ごはんの時間(かもしれない)。

授業の様子や子どもたちの活動の様子、学校のシステムなどはまた今度。

どうして「らしい」と「と思う」が多いのかも次回書こう(と思う)。

2008年9月1日月曜日

何気ない日

今日は朝若干寝坊し、ちょっと出るのがおくれたものの、いつもどおりタクシーで学校へ向かった。

乗合タクシーなので、先に乗っていた人を連れていくためになんかえらい遠いところへ連れて行かれ、そこから学校へ一番近い道は「道路が工事で混むから」という理由で(そんな事なのだが)さらに遠回りをされた。

結局15分くらい出勤時間を過ぎてしまった。

そして、午前中仕事してたら何人かの人に「そういやお前今日遅刻したんだって?」と言われる。

学校では毎朝ある先生が出勤チェックをおこなっているのだ。
たしかに遅れたけど、時間にルーズな人々にそういうこと言われるとちょっと切ないです。しかもそんなの他の人に言わんでもいいのに。

昼には、たまたま並んで歩いていた先生に「昼ごはん食べにくるか」と誘われ、お邪魔することに。

ここへきてすぐに歓迎会をしてくれたおうちなのだが、その人だということをすっかり忘れていて「この近くに住んでいるんですか」なんて聞いてしまった。

申し訳ない。

んで、食事しながらビール飲んだ、しかも2本。

毎日のんでるのかと聞いてみると、普段はあまり飲まないらしいが、お客さんが来たときは昼間でも飲むこともあるらしい。

昼間っから酒を飲むなんて・・・かなり抵抗あったけど、どうせ授業ないからね。

ほろ酔い気分で午後を過ごしましたとさ。

仕事はちゃんとやりました。が、校長には会わずにすんでよかった。

2008年8月30日土曜日

あり得ない食事

さて、新人の炊飯ジャー2号さんの実力を確かめるべく、さっそくご飯を炊いてみました。

おかずをどうしようかなと思ったのですが、妻が日本から送ってくれた食品などの荷物が届いたので、それを使ってみることに。


使ったのは、じゃじゃん!


海苔(味付き)!

ご飯にはワカメふりかけ!!


海鮮ミソスープ(味噌汁に海藻をいれたもの)!!!



そして、高級魚の煮付け(サンマの缶詰)!!!!




いやあ、もう最高です。ここにきてからというもの、海の幸なんて全然食べられない。

超ぜいたく品です。

だからもしも日本でこのメニューが出てきたら「手抜きしたな」とちょっとがっかりするところですが、日本とは違った意味であり得ない食事でした。最高の晩御飯ですね。


あ、ついでに飲み物とおつまみの写真です。左が苦手な白酒。



というわけで、このような品々を送ってくれた妻に感謝です。ありがとう。

そして、炊飯ジャー2号よ、グッドジョブ!さすがだ。


2008年8月28日木曜日

新旧交代式

今夜は我が家にて新旧交代式を執り行った。


去るのはこちら、炊飯器1号さんである。






彼はここへ来たときに受け入れ先の人がスカウトして連れてきてくれた新人だったのだが、

とても粗末なつくりで、頭がパカパカします。


だから、もちろん彼の唯一最大の仕事である「ご飯をたく」という仕事がきちんとできません。


彼にはシュウマイなどの蒸し物を作ることができるという長所もあるのだが、


なにせ私はシュウマイを作る気がない。

しかも、彼はこの町中の電化製品を見て回った結果、最も安い製品(95元=1500円)であることが判明している。



というわけで、先日我が家へ期待のホープがやってくることになりました。


ジャジャジャ ジャーン!!





電子炊飯ジャー2号さんじゃー!

ちょっとごつい体つきに情熱的な。しかもなぜかそのボディには日本語も書かれている。


おそらく「日本語が書いてあると高級品にみえる」というイメージ戦略なのだろう。

日本のバンドとか歌がなんとなく英語なのと同じだ。ともかく、いい仕事をしそうだ。



ちなみに2号さんの契約金は438元(6200円くらい)。

そんなわけで、入団一か月にして戦力外通告を受けた1号さんは今後、自分が中国を去るその日まで、同じく一度も電源を入れてもらうことなく二軍落ちさせられた扇風機ちゃんのお隣で静かに毎日を過ごすことになりそうだ。

誰か彼を新しい職場で採用してくれるといいのだが。

扇風機ちゃんには来シーズンの活躍を期待したいところだが、なにせ寒がりだから彼女の出番が来ることはおそらくないだろう。

ごめんよ。