2008年11月29日土曜日

ハゲまさないでください

10月から身の回りでいろんなことが起き、特に最近では激動の日々が続いております。
皆様、ご機嫌いかがでしょうか。

さて、ここのところ、深刻な日記やまじめな日記が続いておりまして、
皆様につまらない思いをさせていたことと存じます。まだ報告していない重大ニュースなどもあるのですが、それは置いといて



今日はまた深刻ながらも身を削って一時の笑いを提供したいと思い、
発表いたします。










ハゲました。






いや、ハゲができました。

以前、美容師のせいでハゲっぽくみえた と思っていたのが実は美容師のせいではないと気付いたとき、それはそれは悲しいものです 


orz


これはストレスハゲでしょうか。

それとも、遺伝でしょうか。

老化でしょうか。

何でしょうか。

形から察するに、どうも円形脱毛症っぽい感じがします。

やっぱりストレスかなあ。
まあ、死ぬわけじゃないから気にするなって言われればそれまでですが。

帰国したら元に戻ることを願いつつ、またひとつネタができたと思ってしまったこの芸人根性が悲しい。


あ、でもみなさん、励まさないでください。



ハゲが増すといけないので。



毎日のようにいろんなネタが起きる自分は

不幸なんでしょうか、それとも幸せなんでしょうか。



でももうお腹いっぱいです。

2008年11月28日金曜日

4年生の先生に美術の授業を見たいといいに行く。

「この時間に○○先生がやるから行くといいよ。」

行った。


断られた。

「私は専門じゃないから、専門の先生の授業を見て。」

「もう見ました。私は4年生の授業が見たいんです。」

「来週他の先生のをみなさいよ。ねっ。」


終了。



再び4年の先生たちにそのことを告げに行く。

「もうすぐ(美術の)専門の先生が帰ってくるから、そしたら見るといいわ。来週」(←て聞こえた)

メモをとっていると、彼女がなんか言ってる。

「違うよ、来週(下星期)じゃなくて来学期(下学期)」


このとき、怒りメーター60%


「は じゃあ、あと4ヶ月待てってこと?
   もうすでに3か月待ってるんだけど」

まあ、この先生たちに文句言ってもしょうがないんだけど。

「おれは、中国語がまだうまくないからいまだに授業させてもらえないし、何もできない。毎日事務室にいたって何にもならないし中国語のレベルだって上がるわけないじゃん!!おれはどうしてここにいるの?何のためにここにいるの?」

「ほんとにそうね。じゃあ、授業でも見たら?」


それを断られたんだろうが・・・・


「でも、(前任者)はもっと中国語うまかったわよね。」

出た。いつもの前任者との比較。


怒りメーター75%


「彼女はここへ来たときにすでに1年以上中国にいたんだよ」


日本では何してたのとか、何年仕事してたのとか日本での給料はいくらだとかここでは食事どうしてるんだとか聞かれたのちにトドメの会話。

「給料はどうしてるの?」

「生活費を政府からもらってる。」

「じゃあ、いいじゃない。」
(授業なくてもお金もらえるんだから、みたいにとれた)

「日本に帰ったら仕事はあるの?」

「あるよ。学校は変わるけど。」



「あらそうなの。じゃあ日本に帰ればいいじゃない。」


怒りメーター完全に振り切れた。


人生の中でこんなに人間に対して怒りを覚えたことはなかった。


無神経にもほどがある。
怒りに震えるってのはこういうことを言うんだと初めて知った。本当に体が震えます。

もちろん彼女は自分が職場(?)からの要求に基づいて日本から派遣されていることを知らない。だから、悪気は全くない。

なにせ、ボランティアというものに対しての理解がまったく違う。
それこそ仕事がない人間が仕方なくやるものくらいにとらえている。

なぜここへ来たかを伝えてもピンと来ない様子。
「あなたたちは自分がここへ来た理由を知らないでしょ。」

「うん。」

「校長が説明しないからだよ!!」


その後、海より心の広いわたくしは、怒りを抑えてがんばってしばらく交流。

彼女らは自分が聞き取れていないと思って、また前任と比較してあれこれ言ってる。
そして、自分の会話や反応などを聞いて笑う。
嘲笑されるという経験は日本ではほとんどなかったけど、ここではしょっちゅうだ。
きっとほかの隊員もそれを味わってるんだと思えば我慢もできる。


日本語授業をおえて戻ると、机の上に2年の先生が明日の授業見学の予定を組んでくれたメモがあった。


救われた。ほんとに救われた。


あのときは本当にもう日本に帰ろうかと思った。

なんでこんなやつらのために、がんばってやらなきゃいけないんだと。

でも、いい。がんばれるだけ、がんばる。
その先生にお礼を言いに行った。

ありがとう。

夜に日本の知人のところへ遊びに行って、ついでに砂漠で星を見てきた。

-6.5度だったので寒くて少しだけしか見られなかったけど、

数千、数万の星と流れ星、天の川を眺めて少しリフレッシュ。


明日からまた頑張ろう。
涙がこぼれそうでも、男の子だから泣かないぞ。


この道を行けばどこ行くものか。

迷わず行けよ、行けば分かるさ。


分かるだろうか?   

でも、迷いながらも行くよ。
5か月でようやく一歩進んだんだ。もう一歩も下がりたくない。

2008年11月26日水曜日

時には起こせよムーヴメント

どうも、連日失礼いたします。
がけっぷち隊員の私です。

消滅の危機にあった日本語授業ですが、持ちこたえました!

めずらしく強めに「こうしたい」という意思を人に示した成果か、
それともあまりにもかわいそうじゃないか、という配慮が働いたからか 、自分の希望が通りました。

今後は3,4年生を一緒にして月・水曜の2回、5年生を火・木曜の2回、自習の時間を使って40分やれることに。

おめでと~~う、オレ
ありがとう、みんな。

 そして、(本物の)美術の先生が新校舎ができたことにより、1・2年生とともにここへ来たのでいろいろ交渉しました。

美術教師としてここへ来たって伝えたら「じゃあ授業やって見せて」って言われたので、さすがに指示の出し方や中国の授業の仕方がよく分からないので、今後授業を見せてもらいながら自分の授業を手伝ってもらって、一人でやるようにしていくってことを確認。

そして、2年生の国語の授業に生徒として参加して言葉の勉強もしていくように調整中。

国語や英語、美術などいろいろな教科の授業も見ることができ、 この3日間で大きく前進しました

っていうか、これって本当は一日目に話し合うことだけど。

本来。

一人きり放置された夏休みが終わってからちょうど3か月。


いやあ、大切な時間を無駄にしたわ。

今になって、ようやくスタートラインに立ちました。

ちなみに、校長やカウンターパートとはいっさい話通してません。

無駄なので。

でも、いい加減教科書をもらえるように相談しなきゃ。

2008年11月24日月曜日

久しぶりの!!!!

銀川に行きました。


そして、久しぶりの



洋食!!!!



ピザ。ピッツア!!!!


いやあ、本当においしかったです。店長はアメリカで修業したらしく、

アメリカ仕込みにしてはかなりおいしかった。

感動しました。そして、3人の先輩隊員(年下も含むが先輩)と一緒にお食事。


その後、日本から留学してきている学生二人の日本語の授業を見に行き、夕飯を寧夏大学の学生たちと一緒に食べた。


中国では、日本のアニメが大人気で

男の子はスラムダンク、ドラゴンボール、NARUTO、ガンダムなどが特に好きらしい。

女の子は・・・よく分からないけどとにかく少女漫画?が好きみたい。今度聞いてみよう。「僕の彼女はサイボーグ」とか「恋空」あたりも人気らしい。

そして、BL(Boy's Love)という言葉は中国の若者の80%が知っているらしい。
自分は知らなかった。そしていまも分からない。誰か教えてください。

あと、「オタク」とか「やおい」という言葉がマンガ好きの中ではかなり認知されているらしい。


日本の産業で外国との友好関係に一番役立っているもの、それは間違いなくアニメとドラマ、音楽です。

台湾は特に親日として知られているけど、韓国、中国でも大人気です。ジャニーズとかね。


ちなみに、
中高年にいまだに人気なのは高倉健と山口百恵、北国の春。


中国人が必ず知っている日本語は、「バカヤロウ」と「ミシミシ(めしめし)」です。これは戦争映画の影響。旧日本軍がよく言っていたらしい(ホントかどうかは分からない)。


オリンピック前は「イヂバン(一番)」が流行したそうで、いかにも中国らしい。

日本語やるっきゃないでしょ

今日は新校舎が完成し、今までほかの学校の教室を借りて学習していた1,2年生が帰ってきた。

なんだか校内がにぎやかになった。

そして、今日から突然登校時間などが変わった。

登校時間はどうでもいいのだが、午後の課外活動の時間も変わった。

今まで、この中の40分の時間(実質30分)を使って日本語の授業をしていた。

それがいきなり15分になった。そのあとは40分の自習時間。

ええと、私の授業は?15分?


NHKの外国語講座か!!とツッコミたくなった。


もともと日本語教師になるために来ているわけじゃないので、
本来はなくなったっていいんだけど、何せ今は美術の授業がないので。

一応担当の先生に相談に行くと、ちょっと校長と相談してみるって言ってもらえた。

その後音沙汰がなく、授業の時間になってしまった。

子どもが来なかったら、もういいやって思いながら教室に行くと



ちゃんと来てくれました。3年生。


自習の時間を潰してきたってことかな?


ともあれ、来てくれてよかったです。


あとは、この授業をどのように、どの程度まで教えるか。


小学生に、一週間に30分のペースで。


これが問題です。


日本語つかったゲームでもやろうかな。

2008年11月17日月曜日

極寒

寒過ぎる。


この何日か、気温は下がりっぱなし。

ようやく本物の冬が来たようです。(でもまだまだ序の口らしい)


今朝の最低気温は氷点下8度。


温度計があまり信用できないので、実際は-6度くらいかもしれないけど、


とにかく寒い。


外に出て1分もすると体温が急速に奪われて代わりに寒さが骨の中に入ってきます。


顔なんかもう寒いっていうか、ただ痛い。


私はここの冬を乗り越えられるのでしょうか。

ああ、みなさんさようなら。

喜酒

喜酒、中国語でシージウという。


その名の通り喜びの酒、つまり結婚式で飲むお酒の事。


昨日は中国にきて初めて結婚式に参加しました。 お互いに漢族なので、いわゆる少数民族の独特な感じではなかったようだけど、日本では考えられないようなこともたくさんあった。


自分は新婦側の友人で、その人はお世話になっている砂漠協会で事務員をしている。
一週間ほど前に招待状を持って「参加してね」と言いにきた。 もちろん結婚するのはずっと前から知っていたけど、日本なら最低でも3か月くらい前には必ず招待状を出すので、そこにまず驚く。


午前11時開宴。 結婚式で遅刻はさすがにみっともないので、早めに家を出て10時45分に到着。
席が150くらい用意してあり、なかなか素敵な感じ。

でも従業員以外には人は5人しかいない。
受付には従業員が食べたと思われるひまわりの種が散乱している。


11時5分前。やっぱり10人足らず。


11時20分。2~30人。 砂漠協会の人が一人現れる。「まだ始らないの?」ときくと、「新郎新婦が来てないから。」と。


12時。100人以上になった。

12時15分。 新郎新婦が車で到着。車を降りると新郎が神父を、いや新婦をお姫様だっこして会場入り。

心労は、いや新郎はすごい汗かいていた。相当きついのだろう。

子どもたちがなんか紐みたいなのが出るスプレー缶を二人に猛烈に噴射させたり、クラッカーを鳴らしたりして祝福。 そろそろ座ろうかなと思ったらなぜか席がない。

あんなに早く来たのに。

日本と違い、座席の表示札などはなく好きな場所に座るらしい。


別にCan you celeblate的なロマンチックなBGMとかもなく、モンゴル民族衣装を着た司会者が二人にインタビューして「だっこは疲れたか」とか「(相手に)愛してるって言って」とか言ってる。

しかも、後ろには二人のどでかい記念写真が。 おれも今度撮ってもらおうと思う。 そしてなぜか新郎の両親は顔に口紅や靴墨みたいなので落書きされてる。

なんかのおまじないかと思って従業員に聞くと、一種の祝福のいたずらだそうで、あんなのを普段やられたら、ただの嫌がらせである。


そして、司会者の話なんて聞いておらずしゃべったり食べたりしてる人が多い。これは日本も同じようなもの。

で、特に大層なイベントとかはないらしく、われわれごく近い関係者は2階のVIPルームにて会食。
結婚式見られないじゃんって思ったが、仕方ない。しかし、結婚式で別室って、日本でもあるのかね。聞いたことない。


下では歌手が歌って参加者に酒を飲ませるいつものパターンだろうからいいんだけど。

んで、しばらくしてから新郎新婦がワイングラス2つになみなみ注いだ白酒(42度)を持って挨拶にきた。

といっても別に謝辞を述べたりはしない。ただ酒をすすめて飲ますだけ。こちらはおめでとうと声をかけ、お酒を飲むと「ありがとう」と言ってくる。


気がつくとVIPルームの人たちが半分くらいいなくなってる。




もしや・・・・・・帰った?!




聞けば新郎新婦が酒を注ぎに回ってきたあとは自由に帰ってよいらしく、結婚式といっても結局普段の宴会を大きな規模にしただけらしい。


祝った後はお構いなくってあたりが中国らしく、その潔さが気持ちよい。

白酒をたらふく飲まされた後下へ降りると、奥の方でまだ二人が客に酒をふるまっているが、すでに他の人は皆帰宅。


実にさびしい光景である。






こぼれ話


さて、自分はその後、4人の仲間と近くの喫茶店へ移動し、2次会?
大嫌いなウイスキーとコーヒーと(なぜか)酢を飲まされる。

その後、マッサージ店で足ツボしてもらいながら3次会、兼休憩。これが一番良かった。


6時から再び料理屋で4次会。(宴会)
テレビ局の局長やら新聞記者やら、プロの二胡演奏者なども合流し、また白酒。


9時に解放されるまでに5回ほど吐き、吐いては飲み飲んでは吐きって感じだった。

結局この日は、白酒→ウイスキー→白酒→ビール で8時間耐久レースとなりました。



もはや喜酒(シージウ)ではなく、死酒でございましたよ。




恐るべし、中国。














2008年11月15日土曜日

調整員の訪問

JICAにはそれぞれの国に現地事務所があり、そこにボランティア調整員という人がいます。

ボランティア(自分たち)の活動や生活などいろいろな面についてサポートする方々です。


そして来ました。調整員とナショナルスタッフ(中国人スタッフ)がわざわざ自分のためだけに。


うちの校長と、今後の自分の活動について自分の要求も含めて話してもらいました。

日本語の授業も見てもらい、ついでに写真撮ってもらいました。

そのうちメールで送ってもらったらアップします。


んで、学校側が授業をやらせない名目になっている語学力についても見てもらったところ、

「知っている単語はまだ少ないけれど、使っている言葉は発音もすべて正しいから、今ぐらい喋れれば授業は十分やれる」
とナショナルスタッフから太鼓判を押してもらうことができ(ホントかお世辞かは分からないけど)、校長先生にもそのようにプッシュしてもらったので、「近いうちに授業をしてもらいます」って言ってもらえました。

やったね。


やっぱ中国人は上の人間に弱い。

とはいえ、中国人の口約束は信用ならぬ。
近いうちっていつだ?教科書すらもらってないのに。とも思う。


お客さん(しかも重要な)が来ているので、食事は毎回宴会で、毎食酒を飲む。
参りました。これはきつい。 調整員は出張のたびにこれだもん。大変だ。


んで、とりあえずせっかく日本語喋れるスタッフがいるし、いい機会なので日頃から気になってた中国語の表現などについてたくさんおしえてもらったのが一番の収穫。

今のアパートと目星付けてる引っ越し先についても見てもらい、 前向きに考えてもらえるように、プッシュプッシュ。

結論はまだですが。


ついでに砂漠にも行ってきて、パジェロで疾走。すごかった。

とにかく短い時間だったけど調整員さんが来てくれたおかげで砂漠を突っ切るように道が開けた気がします。

谢谢大家!!調整員様万歳!!


あ、ちなみに 写真はここ内モンゴルと寧夏自治区との境界線になっている万里の長城。
高さは約4メートル。

これは、北京の万里の長城。ぜんぜん違います。

2008年11月8日土曜日

当番活動

この学校では毎週当番のクラスがあります。
何の当番かというと朝や帰りはもちろん、休み時間のたびに学校内のあちこちに立って、先生が通るたびにあいさつをする当番。
たとえば朝校門の前を通ると彼らは手をあげて中国式の敬礼のポーズをとり、
「老师早上好,祝你工作顺利!」(先生お早うございます。お仕事が順調でありますように!)
などという。
いや、お仕事がうまくいくかどうかは君たち次第だし、君たち相手の仕事なのに君たちに励まされても・・・

中国は教科担任制だから?授業終了後、「先生さようなら」ということがあるが、
時々最後に「老师辛苦了!」(先生お疲れさまでした!)
と言うのが一番ウケる。お疲れさまって・・・・(笑)

帰りには「老师再见,请慢走。」(先生さようなら、お気をつけて!、またはごゆっくり!)
なんて言ってくる。

そういう彼らは確かめもせずに大通りに飛び出したり、大通りでドリブルしていてボールを追いかけて急に車の前に飛び出したりする。
よっぽど「そちらこそ気をつけて」と言ってやりたい。

あいさつをする時、決まって彼らはその人が目の前を通る瞬間を見計らって言うので彼らが言い終わったときにはもう自分は通り過ぎてしまっていて挨拶を返すにはわざわざ振り返らなくてはいけない。
ほとんどの先生たちは全然気にしてないというか返事なんかしてあげないのだけど、黙っているのは気持ち悪いので自分は先に言うようにしている。
すると彼らはかえって自分たちのタイミングを逃すらしく、挨拶が言えなくなってあたふたするときがあるのが面白い。
日本語を教えている子が当番だと、たまに「サヨナラ」と言ってくるのでうれしい。

また、掃除については金曜の一斉清掃の時間に皆でする以外に、クラスの各班が当番制で時間や場所をきめて掃除をしている。当番の日は自分の家からほうきとちりとりを持ってきて、ゴミを拾ったり砂やほこりを掃いたりしてがんばっている。

でも、せっかく掃除してもそのほうきを持っている子でさえ、学校の隣で買い食いしては、その袋をぽいっとその辺に捨ててしまう。なんならそのほうきでもう一回集めたらどうかと思う。

先生たちも子どもに自分たちの事務室を掃除させたり、自分で拾わずにゴミを拾わせたりするし自分たちが遊んでいて転がって行ったボールを取りに行かせたりしているので、なんか子どもを使って当たり前というか、教師の絶対的権威が存在するんだなあと思う。

まあおそらく北京の学校なんかはもっと違うんだろうけど、先生の権威がなくなった日本の学校を考えるとはるかにやりやすくていいなあと思うが、権威をはき違えている人も多いのが残念。

2008年11月5日水曜日

JICAボランティアはお手伝いさん?

中国人に限らず日本人でも怠け者はたくさんいるんだけど、もちろんそれはわかっているんだけど。

そして、タイトルに書いてあることが、ここで仕事していて一番引っ掛かっていること。

中国人にとってボランティアって、出世のための手段の一つ。

 だからなのか、俺が出世のためにここへきていると思っている人が多いみたいで
よくお手伝いさん扱いされます。お客さん扱いはもっといやだけど。

 前回の体育教師のつづき、中国の先生はPCで文字を打てない人が多い。12~3年前の日本の先生たちをイメージしたら同じ感じ。

さて、体育や学校衛生環境などについて、日本で言う教育委員会から報告を求められたようで、担当になった体育の先生が手書きで下書きを書いてきた(たぶん自分で書いた)。

そして自分のところへ。

「これをPCで打ってくれ。」


     なんで?


お願いするってよりは、これはお前の仕事だって感じであれこれ説明をされ、仕方なく作業開始。

こちらの承諾なんかもともと得る気がない。 たとえば英語の先生に頼まれたら、そりゃあ僕は暇ですからって気にもなるけど、でも彼は体育の先生ですから 。

「あんた毎日暇だろ。ゲームやってる暇があるんなら文字の打ち方勉強しろよ」(って思う)。

しかもなんで君たち中国人の母国語の入力を外国人に頼むんだ?(と思う)。

んで、作業が80パーセント終わったところで、「この資料はもうこれ以上打たなくていい」ときた。 今日最終的に「ここを修正してくれ」って言って持ってきた資料はすでにPCで打ってある。

なんだ、自分で頑張ったんだ、やればできるじゃん、って思ったら、

タイトルに「第六小学校」って。



ええと、

うちは「第二実験小学校」ですけど。


パクったっていうより、そのまんまじゃん・・・

そういや昨日となりで盛んにこの件について誰かに電話してたな、あの先生。

人に作らせた資料のうち半分を無駄にして、結局他の学校の先生が作った資料を送ってもらってほぼそのまま(名前と数字以外)流用しちゃうその潔さが中国人らしく、

もはや感動すら覚えました。

困難を乗り越えてこそ、自分の力がつくんじゃないか?諸君。

自分にとってはいい勉強になるから構わないし、今回いろいろな単語を勉強できてとてもよかったんだけど、彼らは今後も自分が努力しないですむ方法を選択し続けるのだろうか。

なにより一番の問題は、今回楽しちゃったので次回も彼は文字が入力できないってこと。
これをなんとかせねば。でも染みついた習慣というものは、なかなか変えられるものではない。
ううむ、

とりあえず、彼は最後に一言「谢谢」と言えたので、まあよしとしよう。

2008年11月4日火曜日

体育の授業?

どうもPC隊員(なかば干され気味)兼、日本語教師(授業に生徒が来ないこと多い)兼、股関節の筋が痛い私です。

都市部はちゃんとしてるらしいけど、この学校の先生は体育をちゃんとやりません。

 一週間のコマ数はだいたい12から15くらい。授業ではなにをするのかというとまず整列する。並んで走る。

 ここまでがきちんとできていないと「しばらく立ってろ」みたいなこと言われて放っておかれたり、走り直しさせられた後、週3回のうち1回はなんかしらのちょっとした運動をする。 
 例えば体操(ラジオ体操みたいなの)、ボールつき(ただ足元でボールつくだけ)、サッカー(7~8人が円になってパスしあう)、バスケ(サッカーと同じようにボール投げ合うだけ)などをする。
 残りの2回は自由活動。要するに好きなことして遊んでいるだけ。 道具は自由に使わせてもらえないのでゴムとびとかバスケとかバレーボールみたいなことしてる。
 しかも、やりたくない子は座っておしゃべりや虫探ししてる ・・・もはや体育ですらない 先生はというと電話していたり、たばこ吸っていたりするだけで、別に何も指導しない。


なにせ「自由」活動だから。


 これは・・・授業?
 
 これは・・・教育?

 体育の先生はなんだかんだ管理職からいろんな仕事を頼まれることが多い(らしい)けど、空いた時間(ほぼ空いてる)はネットでトランプゲームしてるし、授業の準備なんてしない。
 指導案は毎回書いてるみたいだけど、あれにはいったいどんな指導目標が書いてあるのだろうか・・・ 何より、どうやって成績つけるんだろう・・・・

彼らは自分たちの指導に妙に自信を持っているし、以前自分が体育の授業ならできるって言ったら「お前の専門はなんだ?おれはこれができるぞ」って言ってたけど、どうせ何も教えないんだもん。バスケの経験が10年あったって、ドリブル練習やパス練習もしないんだから意味ない。

確かに日本の体育だって見方によれば「子供の普段の遊びを体育の時間にやっているだけ」っぽい運動もあるけど、それでも、それなりに目的や身につけさせたい狙いや目標ってものがある。

  しかも、音楽の先生は今3人で、美術は1人(自分含まず)しかいないのに、体育は6人もいる。
どうしたものか、このあり方。美術や音楽、体育の情操教育の問題は途上国ならどこでもあるものだけど、現実は本当に厳しいなあと思う。

 でも、カンボジアだかどこかではひたすら行進するだけとかラジオ体操して終わりみたいな授業するところもあるみたいだから、子どもたちが「遊ぶ」時間があるだけマシなのかも。 最後に中国の名誉のために補足。国語、英語、算数の先生は結構忙しくてコマ数も多い。何せ授業の準備とかノートや宿題の添削があるから。 そして、給料も違う。彼らはかなり黙々と仕事してます。そして、英語の授業は絶対に日本よりレベル高い。
5年生が日本の中学1年か2年レベルの英語やってるし、なるべく英語で授業する。これらはなかなかはすごいと思ったので今度紹介します。