2008年9月26日金曜日

運動会(その1)

中国でも運動会をします。
以前は運動のできる子が出て、できない子は応援するだけだったようですが、今はみんな二種目ほど参加するようになったそうです。

ここアラシャンでも今日から3日間運動会。長すぎだろ、と思っていましたが、予定はかなりアバウトで3日間確保しているだけなので実際は3日目の朝には終わるらしい。
だったら終わってすぐに電車で北京へいけたのに、どうしてこの人たちはいつも事前に教えてくれないのだろうか。なんでも突然言い出す。途上国の常ではあるが。
まあ早く終わる分には問題ないのでいいんですけど。
ところがところが、最近やたらと雨が多い。

今年は7月まで、つまり自分が来るまで雨が非常に少なく、水不足だったらしいのだが、
自分が来てからというもの、雨が降る降る。毎週ふります。砂漠性気候のくせに自分が砂漠に行くといつも雨が降ります。今のところ4回中3回降った。勝率2割5分です、砂漠なのに。

そして先週から雨が続き、今日で六日目。あり得ない。ずっと降っているわけではないけど、六日連続。やばいよ、これ。
そして、めちゃめちゃ寒い。今日の最低気温は7度。最高気温は13度。最近は毎日こんな感じ。
服もすでに4枚着ています。この冬は相当寒いらしい。たぶん-20~40度くらいかな。
自分が生き延びられるか心配です。
日雇い労働者は一体どうするのか。日本では「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい」なんていいますが、こちらの出稼ぎ労働者は貯蓄なんてきっとないから雨で一週間も仕事ができなかったら生きていけるのか心配です。

そして、今日は運動会だというのに午後からやっぱり雨。どうやら明日も雨らしい。
聞いたところ、これまでに雨で運動会が延期になったことなんてないらしいから、自分の雨男加減にすごく責任を感じています。考えてみるとすみれ小でも毎年運動会は天気悪いし、他の行事も雨が多い。でも砂漠の緑化には重要だな、おれ。

とりあえず、彼らに自分が雨男だと言ったら本気で自分のせいにされそうなので今のところ黙っていようと思う。

2008年9月22日月曜日

アイヤー(哎呀)

中国人はアイヤーとよく言います。皆さんもテレビや漫画で聞いたことあるでしょ。初めて生であれを聞くとちょっと感動します。でも自分が使うとなるとちょっと気恥ずかしい。


さて、国慶節に合わせて妻がこちらに遊びに来る予定。

なので、28日の日曜日に列車に乗って18時間かけて北京へ行くつもりでした。

が、今日気づきました。ていうか今日知りました。

28日は運動会だった・・・

思わず叫んでしまった。


アイヤー!


しかも正確には、26日から28日の3日間にわたり、運動会


オリンピックか!

しかもしっかり開幕式・閉幕式まである。聖火リレーはやらないらしい。だれも妨害しないと思うが。

しかし、いくら児童数が1400人くらいいるといっても長すぎだろ。

ここでは月に1度職員会議が開かれるのだが、日本のそれとはまったく違って、校長や党の書記の話がほとんどで議案を討議したり意見を述べたりすることはない。ただ聞くだけ。みなさん私語はしても意見はしない。
また、会議録のようなものもないため、内容があまり聞き取れない自分にはたとえそこで運動会の日程を言われてもさっぱり。だから運動会があるのは知っていたものの、いったいいつ行われるのか全く分からなかった。

てな訳で、さすがに休みは取りづらいので、やっぱり飛行機で行くことになりそう。

2008年9月21日日曜日

9月、10月の行事その2

9月18日は日中戦争開戦。

朝突然学校中、いやたぶん町中に空襲警報のサイレンが鳴り響いて10分くらい続いた。一緒にいる先生に「今日は気をつけろ」と言われた。なんの音か分からなかったけど、後になってそれがわかった。あの時のんきに誰かにこの音なんですかって聞かないでよかった。

そういうことも知らないでいた自分が恥ずかしい。


10月1日~3日は国慶節。

いろんな会社や学校などが間の土日も休みにして9連休くらいになっている。日本のゴールデンウィークみたいな感じ。

由来は・・・ 第2次大戦で日本の敗戦後、アメリカに後押しされた国民党とソ連に後押しされた共産党との間で内戦が起こり、最初は中国の大部分を国民党が押さえ共産党は旧満州を押さえていましたが、徐々に共産党が勢力を増していき、国民党軍(蒋介石)を追い出したあと、毛沢東が北京の天安門で中華人民共和国の成立を宣言した日が1949年の10月1日で、つまり中華人民共和国の建国記念日らしい。

そんなわけで、超大型連休はチケットもめちゃくちゃ高く、上海行きは通常の3倍でした。キャンセルして北京に変えた。

9月の行事その1

9月10月はなにかと行事が多い。

9月11日は教師節。 教師の日頃の教えに感謝し、労をねぎらう日?のようだ。ほかの労働者も労うべきだろうが、日本では批判されこそすれ、あまり感謝されることなんてないので少しだけうらやましい。 授業は午前で終了。午後は先生たちと表演(演技)を行う一部の児童で何か会が開かれた。お祝いに150元もらった。 その後バスで移動してレストランでお食事。 白酒(42度)をたくさん飲まされる。瓶の半分くらいなら全然平気になってしまった自分が少し怖い。

9月15日は中秋節。 月が一年で一番きれい。なぜ祝うのかは知らなかったので調べた。

「農暦8月15日は、古代中国の帝王が秋の季節にお月様を祭る礼に由来します。中秋節には家族が集って月餅を食べたり、月を愛で、周りの年配者や、親戚、親友に月餅などをプレゼントして親睦を祈念する願いの日です。」ということらしい。

また、このころ花盛り(旧暦)の菊を楽しむ。だから月餅はその菊を模っているんだということに先日初めて気がついた。

2008年9月19日金曜日

中国について考える

サモハンたち季節労働者がいなくなった。

単純に自分の生活だけ考えていけば、静かになって結構うれしいのだが 彼らのことを考えるとすごく複雑だ。

安定した収入・仕事・生活が得られないということは本当にかわいそうだと思うし、またそういった生活をせざるをえない中国の貧富の差にいらだちを覚える。

中国の都市部北京や上海などは物価がとても高く、農村はその1/3とか 1/4の収入で生活しているところも多い。
生活は大きな差があり、でも金利は都市部の金利と同じ。生活苦から金利についてよく分からないままに借金をしてしまい、とてつもない金利に返済不能になって自己破産する人民も多いという。

これまでのオリンピック景気と安い人件費は、都市部においてサモハン達のような地方からの出稼ぎ労働者をやとうことで安価な労働力を確保して保たれていた。(日本でも契約社員や日雇い労働者問題など非正規雇用問題があるから同じことだが。)

今後この景気が急速に失速することは間違いないとみている。
オリンピックが終わり、2年後の上海万博終了に向けて中国の景気はこれからどんどん下降していくだろう。

大都市で地下鉄や高層ビルが次々に建てられていく一方で、農村には仕事がなく生活に困窮している人々があふれている。

貧困に耐えかねた人民による暴動が頻発していることも報道規制されていて多くは報道されないが、みな知っている。

今後バブルがはじけて長期不景気に陥った時、中国の体制はどうなるのだろう。彼らの生活はどうなるのだろうか。

今、元の通貨価値が一気に跳ね上がる可能性を考え、中国人の中にも預金を外貨にしたり、体制崩壊に備えて国籍を海外に移して国内に住み、自分の資産を没収されないようにしている人も増えているという話だ。

文化大革命のときにひどい目にあった人たちはもうこりごりだと思っているのだろう。

このカウントダウンがいつ0になるのか、その時どうなるのかは分からないが、すくなくともサモハンたちのような人々がきちんと生活できるように農村を含めた「人民全体」の生活をよくできるようにしてほしいし、JICAのような組織の協力がその助けになれたらいいと思う。

どこかの新聞の社説のようになってしまった。

さらばサモハン

最近サモハンたち(隣の住人)がやけに静かなので、過ごしやすかった。

昨日帰ってくるとなぜかベッドを外に運んでいた。

夜になっても物音がしないのでおかしいなと思っていたら、 彼ら、引っ越ししていました。

やはり彼らは季節労働者(打工)だったのだ。仕事がなくなったから出て行ったようだ。

(彼ら季節労働者についてはいろいろ考えることがあり、他のところに書きたい。)

部屋はもぬけのから。いや、正確にはちょっと違うか・・・ おみやげが多すぎ。



普通、引っ越しするときって掃除していかないか?

ごみを放置していくあたりが中国っぽい。さすがです。
これでしばらくは静かな生活が送れます。
でも、最近トイレの漏水が だんだんひどくなってきていて、ぴちょぴちょと水の落ちる音が 便器の内側から聞こえてくる。
新しいのを買うと工事費込みで 1000元近くかかるし、馬頭琴の練習もしたいので 引っ越す
・・・つもりだったのにサモハンたちがいなくなって理由がひとつ消えてしまった。
でも、ぜったい引っ越してやる。

2008年9月11日木曜日

世界はせまい

アラシャンには2つの日本の団体が緑化活動に取り組んでいる。

ひとつは以前ちらっと紹介したOISCA(オイスカ)、

もう一つは「世界の砂漠を緑で包む会」。

この会が、私の現地での家や身の回りの費用を負担してくれているのだが、
今回は3度目の研究所(事務所?)訪問をした。

中国の寧夏大学と日本の大学から学生が研究のために来ていて、交流会(つまり宴会)を行うとのことだった。

そして、この中国の内モンゴルのアラシャンにきている日本の大学が、


なんと武蔵工業大学

考えられない確率です。なぜかというとこの大学、キャンパスは世田谷と横浜の2か所にあるんだけど、彼らのいる学部は

まさにその横浜にあり、私の勤務先、すみれが丘小のすぐ近くにあるからなのです。

こんな世界のなかのちっぽけな場所で同じ国、県、市、区、町の人たちと出会うなんて

人生はなんて面白いんだろう。

引率で来ている教授はもうほんとにうちの学区に住んでおり、コープとか郵便局とかすみれが丘入口とかめちゃくちゃローカルなネタを話すことができておもしろかった。




宴会では日本の学生たちはあちらの学生に白酒をうまいこと飲まされて、あっというまに撃沈。

かわいそうにまあ、みなさん大変なことになっていました。

ちなみに、彼らの名誉のためにつけ加えておくと、彼らは本当にまじめで
研究のための調査活動を最後まで熱心に行い、そして普段はお酒を全然飲めないのにがんばって飲んだらしい。いやあ、立派です。

そして一人の中国の学生も酔って暴れて、トイレを壊してしまった。

それを目撃してしまい、他の学生が「やばい、見られた」って顔をしながら「没问题。」(問題ない、大丈夫)と言ったが、どう考えてもそれは有问题(問題あり)だろう。

まあ、学生は所詮学生だねと教授と大人の会話をしつつ、外へでると

キャンプファイヤーと打ち上げ花火で寧夏大学の人たち(と日本人数名)はさらに盛り上がった。



さんざん飲んでいたのに、歌に合わせて踊ったり走りまわったりしたおかげでさらに酔いが回った。



その後、皆さんが引き揚げたあとでスタッフと片付けをすると、彼らは12時を過ぎてから麻雀を始めたのでしばらく眺めた後で、本を読んで就寝。

あれだけ飲んでから本を読んで寝るだけの余裕ができたことに驚いた。

きっと中国語よりも酒の強さのほうがレベルアップしたと思う。

翌朝聞いたところによると、

12時頃から2時頃まで、外で他のスタッフが大ゲンカして殴りあっていたらしい。

大人もたいして学生と変わらないじゃん。(笑)

ともあれ、


武蔵工大のみなさん、楽しい時間と出会いをありがとう。

負けへんで

このアラシャンに来て約2か月経ちます。

最初の1月半は夏休みで放置。 何もすることがなかった。

そして、新学期が始まって2週間、最初の職員会議の時に先生たちに紹介されたので、だいたいの先生には自分がいることを知ってもらえている。

が、実はまだ授業がない。

子供たちにも紹介してもらえない。授業の見学もできない。自分(専用)の机もない。

だから、学校で行われているいろいろなことが(らしい)としか分からない。

この2週間でした仕事は、

・学校のホームページ作り。のための、FLASHの勉強。
・各教室のプロジェクターとパソコンの設置。
・6台のPCのOSとアプリケーションのインストールとネットワーク接続設定。
・データのコピー、印刷

一体何のためにここへ来たのか。毎日悶々としてしまう。

本来小学校の美術教師として要請されたことにはまったくカスっていないが、一応することがあるだけマシだと思い、もくもくとがんばってきた。

でも、学校では人との交流がない。一日中事務室でパソコンに向かって作業。美術の授業が見たいと言ったら、教師用教材のVCDを渡され、これを見ろと。そうじゃなくて交流がしたいんだという気持ちを分かってもらえない。

学校側は日本の教育技術を特に必要としていない。いわば国際的な活動をしているという箔をつけるためだということを前任者から聞いていたが、本当だと実感した。

でも、焦ってはいけない。活動は1年半ある。
言葉を覚えていないやつが能書き言っても説得力はないだろ。

我慢。 我慢。 我慢。 我慢。 我慢。

必要とされていないなら、必要な人材になってやろうじゃないか。

まずは最高のHPを作って、文句のない仕事してやろうじゃないの。

来週からはHTMLの勉強だ。

やってやるさ、なってやるさ、 最高の「コンピュータ隊員」に!!

「小学校教諭」になるのはそのあとでいい。

おいちゃんは負けへんで。

2008年9月5日金曜日

中国の小学校(教師編その1)

内モンゴルの小学校を紹介します。

教師の出勤時刻(夏場)は朝7時半。出勤のチェックをしている先生がいて、出勤時刻だけはうるさい。

始業は8時。 授業が始まると1時間目のない先生たちがまず最初にすることは、ぞろぞろと朝ごはんを食べに外へ出かけること。

だったら朝の出勤だって適当でいいじゃないかとひそかに思っているが面倒なことになりそうなので口には出さない。

今日は出勤してから8時15分く過ぎまで、(いつの日か)日本を紹介するときに使おうと思い、ネットで日本食とか温泉とかの写真を検索してたら「日本のおいしい料理か、なるほど。でも今やるのはよくない(そういう時間じゃない)」みたいなことを言われたので、「そうか勤務時間中はしっかりやるんだな。すみません」と思ったが、2分後朝ごはんに連れて行かれた。そっか、そういう時間なんだ。

午前の授業は4時間で、1コマ40分。

休憩時間は10分だが、2時間目終わりは20分休憩。いわゆる中休みってやつ。

3時間目終わりには目の体操を行なう。(らしい)目のまわりなどをマッサージして学習の疲れをとる(らしい)。

11時半に4時間目が終わり、昼休みに入る。 先生たちはだいたいみんな帰宅し、食事する。
午後2時半に再び出勤。 3時始業。

1,2年生は6時間目が終わると帰宅。

3年生以上は8時間目まである。

が、7,8時間目はなんかいろんな活動の時間になっている(らしい)。

6時間目終わりにまた目の体操をし、7時間目終わりは中休み。

そして午後6時終業。教師は6時10分に退勤。 残業をする人はほとんどいない(らしい)。

一人当たりの1週間の授業数は教科や人によって違うが、およそ15時間。空き時間が多いので、事務作業はその間に出来る(と思う)。

会議や研究会などはほとんどない。

自分のいる部屋にはちょくちょく暇そうな先生が立ち寄りにくるが、こっちの先生に言わせると学校の先生は忙しいらしい。 実際のところはどうなのか今はまだ分からないが、きっと中国ゆえの大変さもあるのだろう。

中国では日本のように一つの職員室みたいなのはなくて、学年ごとなどに部屋が分かれているのであまり他の先生とのかかわりはない(と思う)。

一番交流できるのは朝ごはんの時間(かもしれない)。

授業の様子や子どもたちの活動の様子、学校のシステムなどはまた今度。

どうして「らしい」と「と思う」が多いのかも次回書こう(と思う)。

2008年9月1日月曜日

何気ない日

今日は朝若干寝坊し、ちょっと出るのがおくれたものの、いつもどおりタクシーで学校へ向かった。

乗合タクシーなので、先に乗っていた人を連れていくためになんかえらい遠いところへ連れて行かれ、そこから学校へ一番近い道は「道路が工事で混むから」という理由で(そんな事なのだが)さらに遠回りをされた。

結局15分くらい出勤時間を過ぎてしまった。

そして、午前中仕事してたら何人かの人に「そういやお前今日遅刻したんだって?」と言われる。

学校では毎朝ある先生が出勤チェックをおこなっているのだ。
たしかに遅れたけど、時間にルーズな人々にそういうこと言われるとちょっと切ないです。しかもそんなの他の人に言わんでもいいのに。

昼には、たまたま並んで歩いていた先生に「昼ごはん食べにくるか」と誘われ、お邪魔することに。

ここへきてすぐに歓迎会をしてくれたおうちなのだが、その人だということをすっかり忘れていて「この近くに住んでいるんですか」なんて聞いてしまった。

申し訳ない。

んで、食事しながらビール飲んだ、しかも2本。

毎日のんでるのかと聞いてみると、普段はあまり飲まないらしいが、お客さんが来たときは昼間でも飲むこともあるらしい。

昼間っから酒を飲むなんて・・・かなり抵抗あったけど、どうせ授業ないからね。

ほろ酔い気分で午後を過ごしましたとさ。

仕事はちゃんとやりました。が、校長には会わずにすんでよかった。