昔、教師になる前に勉強しながら配管工をやってました。
みなとみらいの、ある施設を作っているときに現場のトイレでこんな落書きをみつけた。
「おれがやらなきゃ だれがやる!!」
そして、「だれが」の「が」に大きく×がつけてあり、「か」と直されている。
「おれがやらなきゃ だれかやる!!」
うまい。
あまりのうまさに感心して、出かけていたものが引っ込んでしまった。
なんともよくできた皮肉。
日本語教師なら授業で問題として使ってみたくなる。
もう9年も前のことなのに、いまでも時々これを思い出す。
世の中、まさにこのとおり。圧倒的に後者が多い。
たとえば小学校。全員がそうであってほしいと願うものの、現実には前者はせいぜい1~2割。一般社会ならもっと少ないかもしれない。
だからこそ教師がいるんだろうけど。教科書の内容だけ教えるなら塾で十分だ。
誰かが拾ってくれるだろう。片付けてくれるだろう、ごみを。
誰かが注意してくれれうだろう、あの子に。
誰かが変えてくれるだろう。
何を?クラスを?学校を?社会の仕組みを?自分を?
いや、きっと変わらない。それもきっと分かってる。
変えるのは「自分」。「だれか」に期待せず、「おれが」やる。
とはいえ、一人で変えるってやっぱり大変。結果的にはできないことも多い。
自分もしょっちゅう他人や環境のせいにしたり、環境に甘えたりするので反省する。それを繰り返している、進歩のない人。
一方、青年海外協力隊に参加している人の多くは「だれがやる」的考えの人だろう。それってものすごいことだと思う。そんな集団のすみっこに加わっていることを誇りにも思う。
でも、そんなに意気込まなくてもいいのかもしれない。心に秘めてさえいれば、とも思う。
まもなく協力隊の18年度2次隊が帰国し、20年度4次隊が日本で訓練を始める。
満足いく活動をできた人はどれだけいただろうか。満足いく活動をできる人はどれだけいるだろうか。
一人では変えられないような「何か」を変える力。 すぐには変わらない「何か」を変える活動。
それでも、幾人もの人が何代にも渡って糸をつむぎ合わせるようにして作っている活動。
それが青年海外協力隊。
すごいと思う。
自分に出来ることを精一杯やり、「おれがやれなきゃ だれかやるさ」 と、前向きに「誰か」に託していく。
すごいと思う。
5 件のコメント:
あけましておめでとうございます。冬休みも終わり給食も始まり、普段の生活にじょじょに戻ってきました。卒業まであと2か月。なんといっても早い。まあとにかくあと2か月いろいろ頑張るのでyujisanも中国でがんばってください。ガンガンブログかいちゃてください。今年もよろしく。
あと書き忘れてました。「おれがやらなきゃだれが(か)やる」今の学校の状況が(か)のほうだと思います卒業までにはカッコがないほうに変えていきたいと思います。改めて今年もよろしく。
>しみかんさん
明けましておめでとうございます。給食っていう言葉がものすごく懐かしい。
ホントにね。あと2か月だよ。
しみかんさんの言葉、すごくうれしかったよ。ぜひ、「だれが」の一人になってください。ちなみに、このコメント、ガッコのセンセも見てるかもよ。(笑)マジで頼むよ。
今回のブログ、なんかカッコイー。
圧巻
>アイレンさん
おほめにあずかり光栄です。たまにはマシなこと言いますよ。(笑)
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