2008年11月28日金曜日

4年生の先生に美術の授業を見たいといいに行く。

「この時間に○○先生がやるから行くといいよ。」

行った。


断られた。

「私は専門じゃないから、専門の先生の授業を見て。」

「もう見ました。私は4年生の授業が見たいんです。」

「来週他の先生のをみなさいよ。ねっ。」


終了。



再び4年の先生たちにそのことを告げに行く。

「もうすぐ(美術の)専門の先生が帰ってくるから、そしたら見るといいわ。来週」(←て聞こえた)

メモをとっていると、彼女がなんか言ってる。

「違うよ、来週(下星期)じゃなくて来学期(下学期)」


このとき、怒りメーター60%


「は じゃあ、あと4ヶ月待てってこと?
   もうすでに3か月待ってるんだけど」

まあ、この先生たちに文句言ってもしょうがないんだけど。

「おれは、中国語がまだうまくないからいまだに授業させてもらえないし、何もできない。毎日事務室にいたって何にもならないし中国語のレベルだって上がるわけないじゃん!!おれはどうしてここにいるの?何のためにここにいるの?」

「ほんとにそうね。じゃあ、授業でも見たら?」


それを断られたんだろうが・・・・


「でも、(前任者)はもっと中国語うまかったわよね。」

出た。いつもの前任者との比較。


怒りメーター75%


「彼女はここへ来たときにすでに1年以上中国にいたんだよ」


日本では何してたのとか、何年仕事してたのとか日本での給料はいくらだとかここでは食事どうしてるんだとか聞かれたのちにトドメの会話。

「給料はどうしてるの?」

「生活費を政府からもらってる。」

「じゃあ、いいじゃない。」
(授業なくてもお金もらえるんだから、みたいにとれた)

「日本に帰ったら仕事はあるの?」

「あるよ。学校は変わるけど。」



「あらそうなの。じゃあ日本に帰ればいいじゃない。」


怒りメーター完全に振り切れた。


人生の中でこんなに人間に対して怒りを覚えたことはなかった。


無神経にもほどがある。
怒りに震えるってのはこういうことを言うんだと初めて知った。本当に体が震えます。

もちろん彼女は自分が職場(?)からの要求に基づいて日本から派遣されていることを知らない。だから、悪気は全くない。

なにせ、ボランティアというものに対しての理解がまったく違う。
それこそ仕事がない人間が仕方なくやるものくらいにとらえている。

なぜここへ来たかを伝えてもピンと来ない様子。
「あなたたちは自分がここへ来た理由を知らないでしょ。」

「うん。」

「校長が説明しないからだよ!!」


その後、海より心の広いわたくしは、怒りを抑えてがんばってしばらく交流。

彼女らは自分が聞き取れていないと思って、また前任と比較してあれこれ言ってる。
そして、自分の会話や反応などを聞いて笑う。
嘲笑されるという経験は日本ではほとんどなかったけど、ここではしょっちゅうだ。
きっとほかの隊員もそれを味わってるんだと思えば我慢もできる。


日本語授業をおえて戻ると、机の上に2年の先生が明日の授業見学の予定を組んでくれたメモがあった。


救われた。ほんとに救われた。


あのときは本当にもう日本に帰ろうかと思った。

なんでこんなやつらのために、がんばってやらなきゃいけないんだと。

でも、いい。がんばれるだけ、がんばる。
その先生にお礼を言いに行った。

ありがとう。

夜に日本の知人のところへ遊びに行って、ついでに砂漠で星を見てきた。

-6.5度だったので寒くて少しだけしか見られなかったけど、

数千、数万の星と流れ星、天の川を眺めて少しリフレッシュ。


明日からまた頑張ろう。
涙がこぼれそうでも、男の子だから泣かないぞ。


この道を行けばどこ行くものか。

迷わず行けよ、行けば分かるさ。


分かるだろうか?   

でも、迷いながらも行くよ。
5か月でようやく一歩進んだんだ。もう一歩も下がりたくない。

0 件のコメント: